徒然随想

 夕方、男あるじが出てきて、いきなり,
「今日は夏至だそうだ。つまり、昼の時間がもっとも長い日なんだぞ」としゃべりだした。吾輩も、最近は昼の時間が長くなっているなと感じていたので、なるほどと合点がいった。そこで、いったいどのくらい昼の時間が長いのですかと眼で尋ねると、「うん、それはだなだいたい5時間くらい昼の方が長い。つまり24時間の中で15時間弱くらい昼というわけだ」と答えた。 吾輩は、そんなにも長いのかとびっくりした。ということは、これからはだんだんと昼の時間が短くなっていくのかとなんとなくわびしくもなった。男あるじは、吾輩のそんな思いを察して、
「時間は止まってくれない。頂点をきわめれば次は下降するのが決まりだ。半年ほどかけて冬至まで日は短くなる。宇宙の摂理と言ってよいな。北極と南極を結ぶ地球の自転軸は約23°傾いている。これが日本などに四季をもたらす原理といってよい。ということは、地球は傾いたまま太陽の周りを公転するので、太陽が地表を照らす角度である太陽高度は季節や時刻によって刻々変化することになる。太陽が地表を垂直に照らすとき太陽高度が一番高くなるが、その位置は季節によって異なる。つまり春分と秋分にはそれは赤道上となり、夏至では北緯23°付近、冬至では南緯23°付近となる。この北緯と南緯23°が太陽が地表を垂直に照らす限界で、北回帰線あるいは南回帰線と呼ばれているのだ」といつのまにか講釈しだした。
 吾輩は、宇宙の摂理には関心はないが、しかし時々刻々とすべてのものは変転していることは理解した。日が長くなり、やがてもっとも長くなると、今度は短くなり、やがてもっとも短くなる。これも地球の自転軸が傾いて公転しているかららしい。一体全体、こんな摂理を誰が考え出したのだろうか。しかもこの仕組みが数十億年続いているというからますます不可思議だ。 男あるじは、
「夏至といっても何の感慨もわかない人もいるが、たとえば『今日夏至と思ひたるより仰ぐ空』と詠んだひともいる。稲畑汀子の句だ。春分を過ぎたと思ったらもう夏至かと空を仰いで、時の歩みというものは止まることなく早いものだと感慨を催している。日常の忙しさに紛れてしまって時節に気がつかないことも多いが、しかし夏至をきっかけに季節の歩みを痛感したのだろう。汀子の祖父の高浜虚子も『夏至今日と思ひつつ書を閉じにけり』と孫と同様な心境を詠んでいた。今日は夏至か、道理で日が長いな、そろそろ書を閉じて一日を終わろうか、それにしても今年も半分過ぎてしまった、という心境だろうか」となにやらしんみりと結んだ。
 吾輩は、男あるじも寄る年波でなにかにつけ感傷的気分になることが多いようだ。とくに、手持ちの時間を長くしようとしてもなかなか思い通りにならないようなのだ。余生と言えば、おまけの時間のようで吾輩もけったくそ悪いので、新たに生を紡ぎ出すことを心がけている。でも、これは心境の持ち方にかかっているのでなかなか難しいことだ。

「あじさいの青紫の目立つ夏至」 敬鬼

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