男あるじは、「夏休みは古典を紐解くと心の滋養となるな」と意味不明なことをしゃべりはじめた。わが輩は、「古典と言えば、古事記、日本書紀、万葉集など多々ありますが、何を読めば心の滋養となるんでやんすか」と眼で問うと、
「それはだな、なんと言っても、平家物語だな。夏は生きとし生けるものが生を享受する季節だ。でもそれを裏返せば、亡き人を悼む時でもある。8月は仏教によるお盆の行事がある。お盆とは、正式には盂蘭盆会といって、父母や祖先を供養する期間である。813日には迎え火を焚いて祖先の霊を迎え、お供え物で供養し、16日には送り火を焚いて祖霊をお送りする。まあ、祖先の遺徳を偲び、また残されているものの安泰を願うわけだな。とくに、日本では815日が先の大戦の終戦日となったので、戦没者を悼み、供養することが国家行事となった」  なるほど、日本では8月は仏教行事と終戦記念とが重なって、祖先や死者を悼む季節なんですね。それで平家物語ですか。
「そういうことだ。わずか数十年の栄華で一族が滅亡した平家は、我が国ではまれにみる悲しい物語である。平家の公達ばかりでなく、女人、そして天皇さえ巻き込んだ壮大な滅びの物語だからだ」と男あるじは述べ、覚えたばかりなのだろうか、つっかえつっかえして、
「祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。娑羅雙樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす。おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱异、唐の禄山、是等は皆舊主先皇の政にもしたがはず、楽しみをきはめ、諌をもおもひいれず、天下のみだれむ事をさとらずして、民間の愁る所をしらざしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり」と唱えた。  わが輩も、平家物語では、この冒頭部分のみが名文だと考えている。これ以降は、平忠盛、そして清盛の異例な出世、平家一門の隆盛、奢り、そしてそれに対する怨嗟と陰謀、頼朝の旗揚げ、義経の活躍、そして壇ノ浦での滅亡が詳しく記述されている。
「その通りだ。これは平家一門の栄華と滅亡を描いた一大叙事文学であるが、それにとどまらずに我が国が貴族政治から武家政治へと移り変わる時期に起きた政変や軍事衝突を描いている。この物語に登場する人物は、皇族や貴族、武士、僧侶、白拍子など千人あまりで、しかもほとんど実在の人物だ。こんなに詳しく平家方、源氏方、そして禁中の勢力にも長じて歴史的事実を記述できる人は一人ではなく、多くの人の共作だろうと考えられているんだ」と付け足した。
 わが輩は、確かに、平家物語はあの古代ギリシャの叙事詩『イリアス』と『オデッセイ』に匹敵するなと感じた。それを男あるじに尋ねると
「その通り。これは、古代ギリシャ勢(古代都市アカイア)とイリアス勢(古代都市トロイア)のあいだの10年にもわたるトロイ戦争を題材とした戦争叙事詩で、古代ギリシャの英雄、アガメムノン、アキレス、オデッセウス、ヘクトールなどが登場する。どちらも、平家物語は盲目の琵琶法師によって、他方は吟遊詩人によって詠われて語り継がれたという。ホメーロスその人も網膜だったという説がある」と解説した。
  なるほど、人間は古代から命のやりとりをし、多くの敵を殺したものが英雄となり、また負けて滅亡したものは悲劇として、それぞれ語り継がれてきたようだ。人間とは何か、それは戦う生きもののだ、とわが輩は感じた。ところで、いまは平和なのだろうか。

「揚羽蝶 此岸彼岸の 花渡り」 敬鬼

徒然随想

-祇園精舎