男あるじと女あるじが、朝の散歩に出てこないなといぶかしんでいたら、夕方、そろって日焼けしてご機嫌に帰ってきた。二人の話を聞くともなく聞いていると、退職したテニスの仲間たちと一泊二日のテニス旅行に行っていたらしい。ところどころで、温泉だとか花桃だとか、信州だとかの単語が出てくるので、どうやら信州の花桃の名所での合宿旅行だったようだ。わが輩は、夕方の散歩を急かすようにワンワンと吠えてやったら、男あるじがお土産やらテニス道具やらを仕舞いながら、うるさいという顔つきをしたので、これ以上吠えるのはやばいと縁の下に潜り込んだ。女あるじは、それを見ていて、「クウちゃん、ごめんね、寂しかったでしょう。クウちゃんにもおみやげを買ってきたからね、夕飯の時にあげるわね」とわが輩をなだめようとした。わが輩は、置いてきぼりにされたことを根に持って、いつまでもすねているような性分ではないので、縁の下から這い出ると、女あるじにおもいきり前足をドンとぶつけ、機嫌が直っていることを伝えた。女あるじは、
「皆さんと行ってきたところは、まるで桃源郷のようなところだったわ。といってもクウちゃんには分からないわね。いわば、俗界を離れた理想の郷といったところかしら」と話した。これを聞きつけた男あるじは、おれの出番だとばかりに、
「なになに桃源郷だと。ふーむ。陶淵明だな」となにやら難しげにつぶやいた。そして、家の中に駆け込み、しばらくして紙切れをもって出てきた。きっと、ネットで調べてきたのだろう。
「桃源郷というのは、4世紀頃の中国の有名な詩人陶淵明の『桃花源記』という題名の詩によっている。そこには、『初夏になって草木が伸び 我が家の周りには樹木が生茂る 鳥たちは巣作りに喜び励み 私も自分の家が気に入っている 野良仕事に精を出し 家に帰ると読書を楽しむ 狭い道には車も入って来れぬから 煩わしい付き合いをしなくて済む 近隣の人たちと歓談しては酒を酌み交わし 肴に庭の野草を食う 小雨が東の方から降ってくると それに伴って気持ちのよい風も吹く 周王の傳を精読し それに添えられた絵に目をやる 寝ながらにして宇宙のことが分かるのだから こんなに楽しいことはない』と詠われていた。つまり、桃源郷では花が咲き乱れ、草木が茂り、畑には作物の芽がのび、心地よい風が野良仕事で汗ばんだ身体を冷やす。晴れれば畑に出て野良仕事を詩、雨が降れば書を読んで宇宙のことわりを知る。知り合いが来れば、酒と肴で盛り上がり、いっときを楽しめるというわけだ。この世で夢みることのできるがけっして存在しない理想郷を詠っているというわけだ」と男あるじは講釈した。
  女あるじもこれにまけずに、
「ほんとほんとそうなのよ。行ったところはまさに桃源郷のようだったわ。清流が流れる土手には花桃の木がたくさん植えられていて、満開をちょっと過ぎたところだったが、花びらが風に舞って、これも趣があったわね。花桃の他にも八重桜が咲き、そして野村紅葉がえんじ色の葉を芽吹かせ鮮やかだったわ。目を遠くに移すと、山は新緑で覆われ、ところどころに花桃が咲き、まさに山が笑っている感じだったわ」と思い出しながら話した。男あるじも続けて、
「飯田の水引の里、天竜峡、伊那谷道中、阿智の昼神温泉、月川温泉、清内路を通り南木曽町までの街道沿いに数千本の花桃が植えられているそうだぞ。これは、もともとは福沢諭吉の娘婿の桃介がドイツから運んだ花桃を植えたのが始まりだそうだ」と講釈を終え、わが輩を夕方の散歩に連れ出した。わが輩にはここが桃源郷だといいのだが、やれやれ、そうもいくまいて、花も咲くし喰いはぐれはないが、何せ、人間とイヌ関係がことの他に煩わしいからな。

「花桃や 桃源郷も かくばかり」

徒然随想

-花桃の里