徒然随想

-花より団子か−
  春爛漫の候となった。わが輩も、いつも定位置にしている縁台の下から公園を望むと十数本の桜が咲き競っている。7度目の観桜だが、毎年、花の造型美には感嘆する。どなたが設計したのか知らないが、創造主は天才的なアーチストだと思う。つらつら、こんなことを夢想していたら、騒々しく、この家の男あるじが、サンダルをつっかけて出てきた。
「あー、これじゃ台無しだ。せめて、草履とはいわないが下駄なんぞで出てきてほしいものだ」
と眼でとがめると、男あるじはそれを察したらしく、「うーん、いまどき下駄は手に入らないし、あれは意外に高価だしなー」とつぶやく。
  桜の花は、日本人の精神にフィットする花のようだ。わが輩などは、嗅覚的動物なので、花の造型より匂いを好むのだが、人間どもは視覚的動物なので、豪華絢爛に開花し、いさぎよく散る花を愛でるようだ。人間の死生を桜花に託す心情があるようだ。
  わが輩の、こんな夢想に気がついたのか、男あるじは、
「そのとおりだな、日本人は人の生きることと死ぬことを、桜が豪華に花をつけそしていさぎよく散ってしまうことのなかに象徴されていると感じたんだな」と話す。
「なるほど、そんなもんかな。わが輩には、桜は華やかな花ではあるが、梅の花、桃の花、杏の花などとかわることがないようにおもえるがなー。匂いから言えば梅が最高だ」と応じていると、
「おまえさんの感性と日本人の感性は違うんだぞ。日本人は、いわば死生観の象徴として桜をみるんだな。花より団子とは、死より生を大事にしたいということだ」と笑い、続けて、
「平安時代の歌人西行は、『願わくば花の下にて春死なん, この如月の望月の頃と』と詠んでいる。ここでいう花は、梅、桃ではなく桜を指す。この時代になると仏教の教えが死生観となっているので、桜花の咲く場所は極楽浄土と考えられたんだと思う」と話す。
「花は桜木、人は武士なんてことわざもある。これは歌舞伎仮名手本忠臣蔵のなかで使われた台詞で、人の世の無情を桜に例えているという。太平洋戦争では、自爆攻撃に赴く軍人と桜を結びつけ、その覚悟をいさぎよしとして讃えた。桜はこうして、生を讃え、極楽をあらわす花からいさぎよい死を象徴する花へと変えられてしまった。不幸なことだな。」
  「でも、桜が豪華に咲き、一吹き風が起これば無情にも散ってしまうのを見ると、そんなふうに感じるのは自然かも知れないな。でも、桜と無情の死とが結びつけられたのは、人間の成したことである。例えば、忠臣蔵でも浅野内匠頭が切腹する場面には散る桜が効果的に使われている。戦艦大和の最後は桜の季節で、九死に一生を得た軍人たちは日本に戻ったとき桜が常のごとく咲いていたことを感慨深げに述懐しているそうだ」
  わが輩には、死生観は無縁なものだ。その日、その日が平穏に昼寝をして過ごせればそれで事足りる。さらに、散歩でハッピーちゃんに出会えれば最高だ。それ以上の欲はない。時には、ハッピーちゃんをめぐってライバルのゴン太と吠えあうことはあるが、それ以外は他の犬と競おうなんてことは思わない。いまこの時が生であり、それ以外は感じられないから平常心で暮らせるんだと思う。桜は、はなやかに咲き、そしてさわやかに散る。自然はすべて咲いて散る。それだけのことだ。でも、美ということになれば、そこに生と死が関係してくるのだろうな。

「観音の大悲(だいひ)の桜咲きにけり」  子規