男あるじは、今朝、
「春は曙。やうやう白しろくなりゆく山際 すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」と自分では朗々と唱えているつもりのようだが、相変わらずの濁声で吟じた。わが輩は驚いてこれは何ですかと眼で尋ねると、「うん、教えてやろう。枕草子の一節だ。いい調子だろう。続きは、『夏は、夜。月の頃は、さらなり。闇もなほ。螢飛とびちがひたる、また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。雨などの降るさへをかし。』となる。この後は、秋の趣、冬の厳しさについて書かれている」と話し出した。
わが輩は、まだ納得しかねて、なぜいま春はあけぼのなんでしょうかね、と訝ると、男あるじは、
「そうそう、そうれだな。今朝はよく晴れ、冷たいがすっきりとした気持ちの良い朝ぼらけだっただろう。もっとも、お前は鼻提灯でまだ寝ていたから見逃しただろうがな。それはそれは神秘的だった。手前の木々は漆黒の黒、その上の山際は少し明るんで陽の色がわずかに現れ、さらにその上の空は薄く群青色となり、そこに濃い紫色の雲が薄くたなびいていて、それはそれは幻想的なシーンだった。清少納言が綴るように、春はあけぼのがもっともをかしというのが実感できたわけだ。早起きは三文いや参万円の得だったな」とつぶやいた。
わが輩は、このつぶやきを聞いて違和感を感じた。というのも、この男あるじはおおよそ風流というものを解し得ないと見ていたからだ。つまり、なんにでも値段を付けたがる性分で損得抜きでは男あるじは考えられないからだ。今朝はきっと、余ほど明け行く空のシーンを見て感動したのだろう。そこで、それだけですかとさらに水を向けてみると、「うんうん、よく聞いてくれたな。これだけではいつも見ているシーンで平凡だな。実は、東南の空に三日月が浮かんでいたのだ。これを撮影したので、お前にも見せてやろう。夕方での月ではないぞ、明け方の月だ。つまり、太陽の昇る前に月が昇ったので、こんな趣のあるシーンとなったわけだ」と説明した。
わが輩は、写真を見ながら、なるほど、そういうことかと妙に納得した。わが輩は地面の臭いを嗅ぐのが得手なので、上を見上げることはほとんど無い。「上を向いて歩こう」なんてことをしたら、大切な匂いを嗅ぎ逃してしまう。だから月が出ても、星が輝いても気がつかないし、無関心だった。今日から散歩のときには、時々は上を見上げてみようかと思ったりしていると、
「そうそう、そういえば2月11、12日頃には夕方、西の低い空で月と水星、火星が並んで見える日が数日続くぞ。これもめったに起きない珍しい天体ショーだ。その後18日頃は、夜の10時頃、月に木星が近づいていくショーが始まる。木星は太陽系にある惑星の1つで、内側から5番目の公転軌道を周回している第5惑星だ。太陽系惑星の中で大きさ、質量ともに最大、だから明るく輝いているので、すぐに見つけられるぞ」と、こんどは講釈を始めた。
わが輩は、やれやれといって尻尾を垂れ、そのままうずくまった。そして、太陽、月、木星、その他の星々がどうして存在するようになったのか、不思議に思った。逆に、月、惑星や星々が存在しなかったらどのように感じるだろうか。夜空を見上げても、月も昇らず星も瞬かなかったら、きっと空は漆黒に見え、恐ろしいところに見えるに違いないな。星に願いをなんてできないし、星の王子様もナンセンスだし、宮澤賢治でさえ銀河鉄道を思いつかないだろうて。やはり、星は人間にとってロマンの源のようだ。もっともわが輩イヌ族のロマンの源はグランドにあるから、星はあってもなくても困らない。
「三日月や 漆黒虚空 黄金射し」