三月に入ったので、三寒四温と言われるように寒の戻りはあるものの徐々に暖かさが増してきた事がわが輩にも実感できる季節となった。午睡は、これまでは、縁の下にもぐり込まないと風が寒くておちおち寝ていられなかったが、この頃は陽が当たる所まで這い出て、肌ならぬ毛にお日様を受けると、何ともいえずに気持ちがよい。まるで、人間どもが温いお湯にでも入ったようときに感じるようなとろける心地だ。もっとも、わが輩の背中の毛は焦げたように黒いので、あまり陽に当たりすぎると、ちんちんとしてくるから始末が悪い。でも、冷たい北風に背をさらすよりはよっぽどましだ。春のこんな日当たりを楽しんでいたら、そこへ女あるじがやってきた。干し物の乾き具合を見に来たようだ。そして、
「クウちゃん、今日は暖かくて気持ちよいでしょう。これだけ暖かくなると、洗濯物もよく乾くわ。やっぱり、お日様の力はすごいわね。この力をもっと活用すべきだわ。いよいよ、わが家も太陽光発電を考えてみようかしら」とつぶやいた。
  わが輩は、太陽光発電とは何かは知らないが、お日様の恵みはたっぷりと享受しているので異論はない。女あるじは、続けて、
「見てごらん。チューリップも芽を出しているわ。晩秋に植えておいたのに、球根は春を忘れずに、ちゃんと春が来たことを分かっているのね。今年の冬は例年よりは寒い冬だったのに、球根は季節を知っているんだね」と相づちを求めてきた。
  わが輩も、眼も耳も皮膚さえない球根がどうして春を知ることができるのかは分からないが、とにもかくにも女あるじに眼で賛意を示した。そこへ、われわれの話し声を聞きつけた男あるじが出てきて、
「なになに、球根はどうして春を知るのかと言う話題か。うん、それはだな、まず、球根とは何かから説明することが必要だな」と聞いていないのに蘊蓄を傾けだした。そして、「球根は、でん粉をたくわえておく入れ物だな。つまり、球根の中にはでん粉ががたっぷりふくまれている。ジャガイモはでん粉をとりわけたっぷりと貯蔵しているので、人間はそれを失敬して、うまいうまいと食するわけだ。チューリップの球根も同じ事だ。ただ食しても旨くはないがな。球根で発芽するものは、発芽するのに厳しい環境に置かれたものが多い。種子も発芽に必要な養分を持っているが、発芽環境が良いので発芽に必要な栄養分は最少で済ますことができる。種子と同様に球根にも発芽に関わる胚があって、これが発芽するんだよ」と話した。  わが輩は、それでは、どうして眼も耳も皮膚もない球根に春だと分かるのでしょうかと眼で催促すると、
「それはだな、土の温度を感受できる一種のセンサーがあると思われるな。というのも、温度が高くならないと発芽しないことが実験的にも栽培経験からも確かだからだ。ただ、それがどんなしくみかは、私は専門外なので知らない」というと、男あるじはそそくさと退散した。
  これくらいの常識的な答えならわが輩でもできる。その先を知りたかったのに残念だ。でも、植物は多分、温度と陽の光の長さを感知するセンサーがあると思われるな。わが庵のある庭にも、女あるじが植えたチューリップがあるので、これらが咲くのが楽しみだな。きっと、三色のパンジーとチューリップが競艶したら、わが輩の気分も華やぐことだろう。春が待ち遠しい。

「寒土割り われ芽をださんか チューリップ」 敬鬼

徒然随想

-春を待つ