新たな年が始まった。吾輩は16歳、人間の年に換算すると96歳となるらしい。ということは、来年を迎えられることがあるかどうか心許ないでもないが、足腰の衰えはあるものの今のところはすこぶる元気だ。このところ寒いので日がな部屋の中で毛布にくるまっていることが多い。そこに男あるじがお雑煮を食べた後で上機嫌でやってきて、
「あけましておめでとう。もっとも何がおめでたいのかわからないがな」といつもの皮肉っぽくしゃべり出した。
「それでも、新しいカレンダーを懸けると新年になった気分が湧いてくるな。今日から365日、これをどのように過ごすかはすべて人次第だ。お前のように、朝寝、昼寝、そして散歩を楽しんで送るのも、これはこれで良いことだ。何も一念発起することもないからな。365日を心地よく過ごすのは大事なことだ」と男あるじは吾輩にと言うよりは自分に向かってつぶやきだした。
 男あるじも古希を過ぎ、感じるところがあるのだろうか。大言壮語することはなくなり、地道に与えられた生を送ろうと考えているようだ。
「そういえば、こんな句があるな。『幸せの待ち居る如く初暦』。これは稲畑汀子の作だ。新しいカレンダーを前にして、誰しも今年は良きことがありますように、幸せがもたらされますようにと厳かに祈りたくなる。先のことはだいたい予想できるが、しかし天変地異、事故や事件、そして思わぬ病に会うことは誰にも予測できない。昨年は御嶽山が水蒸気噴火を起こし、紅葉を愛でに登山していた人が遭難した。まさか、その日に自分が命を落とすなんてことは想像だにしなかっただろう。神社や仏閣にお参りし、一年が安寧に過ごせるようにお願いするのも意味あるな」と男あるじは一区切り付けた。
 吾輩は、16年の長きにわたって大病もせず、事故にも遭わずに大過なく過ごしてきたので、これが当たり前のように感じていたし、寿命がつきるまで平穏に暮らせるとばかりに安心していたが、どうやらそうでもないらしい。まあ、この家の男あるじ、女あるじ、そして娘あるじに守られていたかららしい。
 そんな吾輩の思いを読み取ったのか、男あるじは、
「『初暦知らぬ月日は美しく』。これは吉屋信子の俳句だ。まったくその通りだな。『夢秘めし未知の月日や初暦』。これは現代俳人の吉川明子の俳句だ。確かに、今年はどんなことがあるのだろうか、夢は叶うのか、どれも未知のことでわくわくするといった思いがうまく表されている。若い頃はこのようだった。新しい年に夢を持ち期待したものだ。でも、古希を過ぎると、新年の冒頭ではおめでたいことのみを願うが、しかしすべてそれは秘した夢や美しいものとは限らなくなる。老いには堪えねばならないし、身内の者の病や不幸も甘受しなければならなくなる。カレンダーの一日一日を良いことや美しいことだけではで埋めていけなくなるのだ」と話し終えた。
 女あるじもわれわれの話を聞いていて、
「ほんとにそうだわ。今年も良い年でありますようにと、新しいカレンダーを前にして念じるが、老齢になる不測の事態がいつ生じるかもしれないわ。大事なことは一日一日をいつくしむように過ごすことよ。そして今年の大晦日に、良い年であったと終えることができれば最高だわ」と自らにつぶやいた。

「初暦ブランクの日何埋まる」 敬鬼

- 初暦-

徒然随想