徒然随想

−偏差値−
   なんでも、人間どもは、正月気分もさめやらぬこの時期に、国民的行事ともいうべきセンター試験なるものがあるようだ先年までは、この家のあるじもかり出されていたらしい。吾輩犬族から見ても、人間というのは苦労を背負わされる生き物だと同情したくなる。これも人口が多く、いやが上にも競争を強いられるからだろう。
  吾輩犬族は、自分の縄張りをこぢんまりと守っていれば良いので気楽だ。でも、競争ということになれば、順位がつくので心穏やかでいられまい。ストレスも、フラストレーションも貯まる。ご苦労なこった。
  こんなことを小春日和のなか、縁側の日向ぼっこをむさぼっていたら、そこへこの家の女あるじが洗濯物を抱えて娘と一緒に出てきた。
「そういえば、共通一次試験の頃は、我が家も大変な時期があったわね」
とつぶやく。どうやら、この家の娘と息子の受験を回顧しているらしい。娘は、とぼけて
「そんなに大変だったかしら。覚えがないわ」
という。
  この時代には吾輩はまだこの世に生を受けていなく、評判の名犬である先代の頃の話らしい。女あるじは続けて
「なんせあの頃は一世代人口が200万人に頃でしょう。今とは較べものにならないわ。今はわずか130万人程度っていうじゃない。無理もないわ、ご丁寧に2度も共通1次を受けたんだから。そのたびにこちらもやきもき、心配させられたわ」
  娘は、ふくれっつらをしながら
「大事なことは復元力よ。一度失敗しても、努力し、目標に到達することが大事なのよ。大体、試験の成績で人間を序列するなんて誰が考え出したの。人間に対する侮辱よ」
と憤然とする。そして続けて
「あの偏差値が悪いのよ。人間を平均50で区別し、それより上の人間と下の人間に分けるなんて、まるで等級づけられた牛肉と同じじゃない」
と昔を思い出したのか憤まんやるかたないといった感じである。吾輩は、あまりの剣幕に、縁の上から縁の下に退避した。    女あるじは、母親の顔にもどり、
「そうそう、その通りよ。偏差値が70を越えたって言っても、それは人間としての値打ちが上等ってことではない。たまたま、ペーパー試験での結果で一時的、暫定的、仮定的なことにすぎない。でも、このことに人は気がつかないのよ。偏差値が一人歩きをし出す。いや、本当は、人間が人間を見るための自分の目を放棄し、偏差値に依存して見てしまうことに問題があるってことよね」
  娘は、ここで溜飲を下げたのか顔を和らげてのたまう。
「お母さんもちゃんと考えられるんだ。見直したわ。人間を見るときに偏差値に縛られないことが大事なのよ。50から上とか下とか、70を越えたとか、18歳で決められたら堪らないわ。人生は、そのあと60年もあるのよ。リンゴや牛肉の選別と一緒にしないでほしいわ」
  吾輩は、ここまでの母子のやりとりを聞いていて大いに納得した。何せ、先代に較べると吾輩は50のちょっと下らしいから、いくぶん安心してもいいらしい。でも、話からすると、この家の娘も息子も試験の成績は50の上か下か、その辺らしい。至極まともなことを話しているが、きっと、自分たちの共通一次試験結果の鬱憤晴らしなのだろうな。
  小春日和の日向ぼっこは、70以上の心地よさだなと思っていたら、話声が間遠になっていった。

    「猫の子の十が十色の毛なみ哉」(一茶)