1月もあと数日になった。この間、やれクリスマスだの、お正月だのと男あるじは騒いでいたが、もう1ヶ月も過ぎようとしている。月日の経つのは早いものと実感する。うつらうつらしながら、こんな事を思うともなく思っていると、女あるじが干し物を取り入れるために庭に出てきて、「今日は陽が射しているのでもっと暖かいとおもったけれども、風は冷たいわね。クウちゃんは毛皮を着ているので寒くさは感じなくていいわよね」と、わが輩の頭を撫でた。そして続けて、
「でも、日脚は伸びてきているわよね。正月頃に較べればお日様が落ちるのは遅くなってきている。夕方早く暗くなるのはもの寂しいからね。日脚が長いと春が間近に感じられて心も明るくなるから不思議だわね」とつぶやいた。そこへ、わが輩の散歩のために男あるじも、散歩の支度をして出てきた。ぶかっこうに膨れているので厚手のセータを着込んできたのだろう。
「日脚が伸びるか、よい言葉だな。日が出てから沈むまでの時間の長さ、つまりだ、昼間の時間が長くなることをいう。もっとも、日足と書けば、これは株売買でのことばで、一日の始値、高値、安値、終値の株価をチャートに表すことを言う。週足、月足、年足はそれぞれの期間での4つの値をいう」と男あるじはまたまた蘊蓄を傾けだし、脱線した。わが輩と女あるじは、日脚のことを言っているのであって、株のことなぞ話題にはしていないのだ。そんなことにはむろん無頓着に、
「そうそう、日脚だったな。日脚が伸びるのは昼間の時間が長くなるからだ。たとえば、昨日の127日の日の出は655分だが、今日は654分、昨日の日の入りは1715分だが、今日は1716分となる。元日の日の出は7時、日の入りは1650分だった。今日は128日だ。日の出は5分早くなっただけだが、日の入りは25分も遅くなっているだろう」と話を続けた。
  わが輩は、なるほどと思った。確かに朝陽が射すのは早くなったとは実感していないが、この1ヶ月で日の入りは遅くなったなと思うからだ。散歩をしていても、出かける時間はだいたい同じなのに、同じ時間散歩しても、1ヶ月前は暗くなっていたのに、いまは陽射しが残っているからだ。男あるじの講釈を干し物を取り入れながら聞いていた女あるじは、
「昔の人の語感はすばらしいものがあるわね。『日脚が伸びる』なんて言い方は、いまの季節感にぴったりと来るわ。『陽が長い』では、お日様が出ている時間が長くなるという意味が言い尽くせないわ。でも『日脚が伸びる』という語感には、陽が照っている時間が日々長くなっていく様が適切に表現されているわね」と感に堪えたようにつぶやいた。これを聞いた男あるじは、調子に乗って話し続けた。
「『日脚伸びる』は俳句にもよく詠まれている。虚子の孫に当たる稲畑汀子の句に、『これよりは心の余裕日脚伸ぶ』がある。日脚が伸びると春が近づくがそれとともに心も広がり余裕が生まれることを詠んでいる。虚子の曾孫にあたる稲畑廣太郎は『日脚伸ぶ自分の影に見惚れつつ』と詠み、日脚が伸びて一段と明るさが増し、自分の影も濃くなるのをみて力が蘇るのを感じている。日脚が伸びるというのは、うつむいていた人間をすっくと立たせるものをもっているのだろうな」と結んだ。
  たしかに、わが輩も空が曇って暗く陰鬱だとその日は、日々是好日としゃれ込めないが、朝から燦々とお日様が射すと、それだけで今日一日は心楽しい気分になる。もっとも日脚が伸びすぎてのぼせてしまうのも御免被りたいものだ。

「子らの声 空に響いて 日脚伸ぶ」 敬鬼             

徒然随想

-日脚が伸びる