「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通りに、過ごしやすい陽気になってきたので、わが輩としては昼寝に勤しむことができる。何でも、この日は秋分の日とか。もっとも、わが輩には何のことかわからない。なにせ、お天道様とともに起きだし、お天道様が高くなるとともにうとうととし、お天道様が傾くと散歩に出るという、シンプルな暮らしをしているからだろうな。そこへ、男あるじが庭に出てきて、「良い日だな、気分が明るくなるな、やっぱりお彼岸だからだな」とつぶやいた。そして
「秋分では、太陽が真東から昇り、真西に沈むのだぞ。つまり、昼と夜の時間が等しくなる。この日からは、昼がだんだんと短くなっていく。春分では、逆に昼が長くなっていく」と講義をしだした。最近は、大学での講義回数が限られているせいか、やたらと講義いや講釈をわが輩相手にするので閉口だ。
「一日にどのくらい昼が短くなるかというと、日の出が1分程度遅くなり、日の入りが1分程度早くなっていく。昼の時間がだいたい2分短くなるわけだな。これが冬至まで続く。昼の時間は、冬至では9時間45分まで短くなってしまうのだ。そして冬至からは昼の時間が2分づつ長くなり春分の日に、昼と夜の時間がまた等しくなる」と講釈がとまらない。
 わが輩は、
「お天道様は几帳面に働いているのだな。気分によって速くなったり、遅くしたりはしていないようだ」と妙に感心した。どうやら、これを何年、いや何百年、いやいや何億年と続けているらしい。
 男あるじは、さらに、

「このようなお天道様のこの世に対する正確な運行は、仏教にも影響を与えて、お彼岸という仏教行事となったのだ。つまり、西方に沈むお天道様にあやかり、極楽浄土を願い、ご先祖様を供養するようになったわけだな。だから、お彼岸には、墓参りに詣でる」と話す。
  なるほど、そういうことか。それにしても、この家の者は墓参りに詣でるのをみたことがないな。不信心な輩かな。まあ、わが輩もみるところ、仏教心に厚いとはとてもいえないな。学があるのは宗教心を薄くするのかな。もっとも、困ったときには、神さま、仏様に頼るようだな。
「そういえば、本日の新聞に、ニュートリノが光速を上回るという実験結果が大きく報道されていたぞ。これは、アインシュタインの特殊相対性理論を覆す一大事だと書いてあった。その理論によれば、質量、つまり重さがある物体は光速を越えることは無いことを前提としている。もし、ある物体が光速をこえれば質量はマイナスとなり、矛盾するのだそうだ。」と話題を男あるじは変えて話し出した。
 わが輩は、柄にもなく聞き耳を立てた。なにやら、不思議な話をしているようだぞ。
「もし、こんなことが起きれば、原因があって結果が起きるのではなく、結果が先に起き、あとから原因があることになる。現在があるから未来が来るのではなく、未来から現在が起きてしまう。」と解説が続く。
 わが輩も、これは一大事だなと直感した。われわれは明日に向かって生きるのではなく、明日から現在に向かって生きていることになる。わけがわからなくなってきたぞ。ご先祖様に遡るのではなく、ご先祖様に向かって歩むことになる。つまり、人間はサルに向かって進化いや退化していることになってしまうな。まあ、これも良いかも知れないな。わが輩たちは、イヌの時代に、そう、あの偉大な勇者オオカミ「ロボ」の時代に向かっている。バンザイ。

 「萩の花 彼岸此岸を 窮理さす」 敬鬼

徒然随想

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