徒然随想

-向日葵−
  夏の花といえば、やっぱり、向日葵だろうな。わが輩は、花より匂いなのだが、それでも、夏の強い陽射しを浴びてすっくと立つ向日葵にはほれぼれする。背丈が2m余りあり、その先に直径30cmはある大輪の花がついた向日葵は、さしずめ、人間で言えば六尺豊かな偉丈夫を思わせる。それに較べると、この家のあるじは、背丈も顔立ちも貧弱で貧相だ。体付きはがっちりしているが、しまりのない顔がのっかっている。花にたとえると、さしずめ、盛りを過ぎたダリアといったところか。そんな、こんなことを散歩がてら目にしたりっぱな向日葵から連想していたら、男あるじが、
「りっぱな向日葵だ。おまえも背伸びをして見てみろ。あのすっくとした立ち姿は花の王者の風格があるだろう。これの花言葉は『あこがれ』だ。たしかに、人間様もあの立ち姿にはあこがれるな」としゃべり出した。そして、
「向日葵と言えば、あのヴィンセント・バン・ゴッホの描いた向日葵を思い出すな。もっとも、ゴッホの描いた向日葵は、いずれも花瓶に入れられた小振りの向日葵だな。でも、ちょうど、子どもが太陽を描くときに、円の周囲に波型を加え太陽のぎらぎらした感じを表すように、向日葵の花びらが、ちょうど、炎が立つように力強く描かれているのだよ。これは、ゴッホの明るい陽射しのある地や境遇へのあこがれが表されているとされているな。つまり、あの強烈な光を放つ太陽を黄色の向日葵に凝縮して描いたのだな。不安定な精神をもった画家には、太陽の陽光はまぶしくもあるが、熱望でもある。いまでは、ゴッホといえば向日葵の絵画を連想させるまでに有名だ」としったかぶりに解説しだした。わが輩は、まだ、向日葵を見ていたかったが、講釈が長引きそうなので歩き出した。それでも、男あるじは、歩きながら、
「そういえば、1970年に公開された『ひまわり』(ヴィットリオ・デ・シーカ監督)というイタリア映画があったな。とくに、あの向日葵畑のシーンは強い印象が残った」と語り出した。わが輩も、聞き耳を立てると、
「この映画は、第二次世界大戦で徴兵され、モスクワ近郊の戦線へと送られ、終戦になっても帰ってこない最愛の夫(マルチェロ・マストロヤンニが演じていた)をモスクワまで探しに行く妻の物語だな。でも、苦労を重ねて探し当てた夫は、戦いで瀕死の傷を負い、その時助けられた家の娘と子どもまでなしていることがわかった。すべてを悟った妻、ソフィア・ローレンが演じていたが、失意のうちにイタリアのミラノに戻る。その後、夫は捨てた妻に逢うべくミラノを訪れ再開するが、もはや、過ぎた月日は埋められないことを二人は悟って別れるんだね。去りゆく列車に向かって妻が大きな声で最後の別れの言葉を投げる、『アッリヴェデールチ』と。印象に残るシーンだった。この映画は庶民のささやかな幸せまでも破壊する戦争に対する反戦映画となっている」と男あるじは、情を込めて語った。わが輩は、ところで、どうして『ひまわり』というタイトルなんでしょうかと目で尋ねると、
「それはだな、夫が負傷した激しい攻防戦が行われた戦場を妻が尋ねてみると、そこには戦争の傷跡はなく、見渡す限りの向日葵畑に変わっていたのだよ。映画館の大きなスクリーンに映し出された地平線まで広がる黄一色の向日葵畑は、戦争のむなしさと、戦争が終わった後の生への復活を象徴的に表わしていた。だから、『ひまわり』というタイトルがつけられた。ところで、余談だが、スペインそしてフランスを経て伝えられた向日葵の種子は、ロシアでは食用に供されてきた。というのも、ロシア正教では、一種の食絶ちの期間があって、その期間には油脂植物をとることが禁じられていたが、その禁じられたリストには向日葵の種子は入っていなかったそうだ。こんな理由で向日葵の種子が用いられるようになり、いまでもロシアでは植物性油脂として常食されてるんだね」と結んだ。わが輩は、ハムスターではないので向日葵の種を食しないが、この花にもこんな深い歴史があることには思い至らなかった。そうか、向日葵は反戦のシンボルでもあるのか。

「向日葵の 烈日の下 屹立す」 敬鬼