このところ、この家の男あるじも女あるじもご機嫌だ。どうやら、初孫の誕生と、その成長にご機嫌の源があるらしい。息子の嫁の実家が近くなこともあって、孫に会うために足繁く出かけていく。お陰でわが輩は、昼中、邪魔されずに昼寝をむさぼることができる。今日も今日とて、二人で出かけていった。しめしめ、これでしばらくはわが輩は、初冬の日溜まりでぬくぬくと心地よい何時間か過ごせるというものだ。
 わが輩は、どのくらいの時間が経過したのか、夢うつつの中で気持ちよく過ごしていたら、車の音がして男あるじたちがご帰還になった。薄目を開けて二人の様子を探ると、上機嫌のようだ。とくに、女あるじは、赤子がはじめて笑ったというので感動しているらしい。そして、まだ寝ぼけているわが輩の所にやってきて、

「クウ-ちゃん。赤ちゃんが笑ったのよ。なんてかわいいか、言い表せないわ。クウちゃんにも見せてあげたい。写真に撮ってあるので、後で焼き付けて見せてあげるわ。それにしても、赤ちゃんって不思議な能力を持っているのよね。誰も教えないのに笑うことができるんだよ」とまくしたてた。
 そこへ、話を聞きつけた男あるじがやってきて、またまた講釈をし出した。
「そもそも、笑いとは人間に備わった本能行動だな。本能というのは、誰かに教えられて発現するものではなく、ある一定の発達時期になると自然と発現するような行動をいうのだぞ。たとえば、お乳を吸う行動、触ると心地よいものに接触したいという行動、直立して歩く行動なども人間として生まれたら備わっている本能行動といえる。赤ちゃんの微笑も本能行動で、生後23か月の頃から発現してくる」
  わが輩は、そういうものかと思ったが、われわれイヌの仲間には微笑などという微妙な顔の表情の変化は身に付けていない。そうかといって、笑わないわけではない。顔で笑わないでだけで、尾っぽを小刻みに振ることで、それを表現している。まあ、尾っぽがわが輩の心の中を外に伝える伝達手段といってよいな。人間は顔の微笑で心の中を外の世界に伝達するらしい。男あるじは、「その通り。おまえも、だんだんとものわかりがよくなってきているな。赤ちゃんの微笑は、お母さんの注意を引きつけるための手段である。すべてが小さくて円い赤ちゃんの顔は、それだけで愛くるしいが、それが『にっこり』するとなおいっそう丸さが強調され、お母さんの赤ちゃんに対する情愛をかき立てる。まったく無力な赤子にとって養育者である母親の関心をつなぎ止めておくことは死活に関わる。母親も、赤ちゃんの微笑をかわゆく思い、それに対してあやしたり、話しかけたり、抱っこしたりして応える。そして、このような相互作用の結果、生後3.54か月になると発声を伴って笑うようになり、また一段と可愛らしさが増してくる。これが繰り返され、安定した母子関係がつくられていく。まさに赤ちゃんの微笑は、母子関係の形成に必要不可欠なものなんだぞ」とまくしたてた。
  わが輩は、飼い主との安定した関係を築くために、精一杯、尾っぽを振る。女あるじや娘あるじには、この意味を理解し、駆け寄ってわが輩をハグしてくれるが、男あるじにはさっぱり通じないようだ。わが輩が尾っぽを振るという健気な行動が男あるじの情を喚起しないのはどうしてかな。男あるじの情動を動かすものは何なんだろうか。きっと、石頭ならぬ石の心の持ち主かも知れないな。

「初孫が 微笑みかえす 日向ぼつこ」 敬鬼

徒然随想

     赤子の微笑み−