徒然随想

- 雪景色と掘炬燵-

 「じつによく寝るな」と男あるじが感嘆したように、吾輩が気持ちよくまどろんでいる所にきてつぶやいた。窓の外をみると、雪がしんしんと降っていて、この辺では珍しい雪景色だ。男あるじはと見やると、これも雪景色をボーと眺めている。子ども時代の雪景色を思い出し、雪景色ノスタルジアにでも浸っているのだろう。男あるじの話によると、「昔は雪もよく降った。そんな日は、掘り炬燵で兄弟3人と近所の子ども達で花合わせをした。掘り炬燵なんてものは、今は電気ごたつに変わってしまったので使うことはない代物だ。床に開けた空間に50センチ平方くらいの入れ物に灰を入れ、そこに火を熾した炭を置き、網を被せたものを言うのだぞ。櫓を組んだ炬燵には炬燵布団を掛けてあるので、熱を逃さずに温かい。われわれ兄弟は、炬燵の中で足を蹴り合いごっこをしたものだ」と遠くを見やった。
 吾輩は、そんな昔話には興味がないので、聞くともなく聞いていたが、花合わせということばにひっかかった。そこで、花合わせとはなんでしょうかと眼差しをむけると、男あるじは、
「花合わせというのは花札を使った遊びをいう。花札ではいくつかの遊び方があるが、わが家では花合わせをした。花札は松、梅、桜、菖蒲、萩、菊、藤、牡丹、桐、紅葉、坊主、雨の12種類の絵が描いてあり、それぞれにカス2枚、タンザク1枚、タネあるいは五光1枚の5枚から成り立っているので全部で60枚の絵札からできている。花札は各人に7枚配り、場には6枚表面を出して置き、残りは伏せて積んでおく(山札)。各人は順番に、花札を1枚捨てて山札から1枚引く。これを繰り返し、山札が無くなるまで続ける。花札にカス1点、タネ5点、5光10点など点数があり、また花札の組み合わせで「赤短」、「青短」、「猪鹿蝶」、「5光」、「4光」などの役があって集めることができれば高得点となった。遊びのルールは簡単だった。われわれ兄弟は夢中になって遊び、得点を競った。もちろん、運が大部分を占める遊びなので勝ったり負けたりした。父親も、これには加わって子どもの好むような菓子を賞品として用意してくれた。家は洋品を商っていたので、父は年中多忙だったが、この雪の降る2月、とくに節分の頃は閑だったのだろう。昔からニッパチといって2月、8月は商いは閑たったようだからな。当時は寒中休みというものも1週間くらいあった。雪が降ったりして寒いので学校も休業した」と語った。
 吾輩は、もう60年も前の雪国の冬の暮らしにいくぶん興味をひかれた。というのも、雪に閉じ込められたなかで日々の生活を楽しもうとする工夫がなされ、一家団欒が繰り広げられていたからだ。現代ではテレビやゲーム、そしてスマホがあるので、たとえ雪に降り込められても皆が集まって遊ぶことが少なくなってしまったようだ。皆が集まって遊んでいるようにみえても、それぞれが勝手気ままに好きなことをしている。これでは、そこに一緒にいるというだけで、協調して遊んではいない。
 男あるじは、吾輩のこんな感想にえたりやおうとばかり、
「おまえもなかなか良いことを言うな。それぞれが勝手に遊んだのでは、一緒にいても団欒にはならないのだ。団欒というのは、集まって車座になり皆が楽しむことをいう。家族団欒とは、家族皆が集まりおしゃべりやみかんなどを食べながら楽しむことだ。それを促していたのが堀炬燵だったのだぞ。寒いので四角い炬燵に皆が集まり、暖を取りながら、本を読んだり、地豆を食べて殻を散らかしたり、他愛のないことを語らったりした。温かい風が吹き出すだけのエアコンではこうはいかないな。昔はそこには、確かな生活があったのだ」と結んだ。

「雪景色眺めて食ろう地豆かな」 敬鬼