これも徒然草の第二四段に書かれていることだが、と男あるじは、
「すべて神の社こそ、すてがたくなまめかしきものなれや。物ふりたる森のけしきもただならぬに、玉垣しわたして、榊に木綿かけたるなど、いみじからぬかは。ことにをかしきは、伊勢、賀茂、春日、平野、住吉、三輪、貴布禰、吉田、大原野、松尾、梅宮」と読み上げた。最近は、徒然草に入れ込んでいるようだ。そして、わが輩を相手に、「徒然草の第十七段では、こんなふうにも書かれている。『山寺にかきこもりて仏につかうまつるこそ、つれづれもなく、心のにごりもきよまる心地すれ』。これはどういうことなんだろうか。日本では、この時代にはすでに仏も神も矛盾無く受け入れられていたのだろうか」と問うた。
  わが輩には、もともと神も仏も信じていない。前世も来世も実感できない。ただ、現世が、いや現時点があるのみ。仏や神もわが輩には見えないし想像もできないので、眼を閉じたまま、男あるじの問いには黙していた。
「まあ、おまえに問うても詮方ないことだな。キリスト教やイスラム教のような一神教では絶対者が複数いるということはあり得ない。しかし、仏教や神道では多くの仏や神がいることを認めている。仏教が伝来したとき、神がいる日本では仏はすぐには受け入れられなかった。そして物部氏と蘇我氏との政治的、軍事的衝突が起きたことはよく知られている。仏教を受け入れる蘇我氏が勝利し、奈良時代には東大寺、大仏殿、国分寺、国分尼寺など多くの寺院が全国に建造されて仏教が布教されたのだよ」と男あるじは歴史を解説した。
  日本の歴史など、わが輩は関心がない。人間という種族は、自分たちの来し方を文字というもので記録し後世に伝える習慣があるという。わがイヌ族には、いまここにあるときが重要と考えるので過去に学んだりはしない。わが一代で学んだことにもとづいて諸事について判断し、行動してきた。この方式でわが一族は過ちをしでかしたことはない。一方、人間は、過去の世代が経験したことに学ばないと同じ過ちを何回も繰り返してしまうようだ。わが輩のみるところ、過去の過ちを学んだにもかかわらず同じような過ちを、政治でも財政でもそして震災や事故でも繰り返してしまっているのが人間のようだ。こんな偉そうなことを感じているなんて露ほども知らずに、男あるじは、
「昔の人にも知恵者はいたようだ。神も仏も存在すると認めることは、論理的に矛盾すると考えたのだろう。そこで本地垂迹説が唱えられて、受け入れられた。つまり、仏が神のかたちで顕れてくるという説だな。ここでは仏が本地で神が垂迹となる。平安時代には広くこの説が広まったようだ。仏が姿形を変えて神として顕現したというわけだ」と解説した。
  わが輩には、この説は詭弁としか思われない。論理的に矛盾しないように強引につじつまを合わせたのだろうな。まあ、嘘も方便で、これで争いごとが収まれば、役に立ったといえる。ところで、徒然草では兼好法師はどのように考えたのでしょうかと尋ねると、
「兼好は出家したので、仏に帰依したわけだ。仏に仕え、お経を読み、思索し、修行をする。そうすれば、現世で受けた濁りも消えて心やすらかになれ、極楽往生ができることを信じて暮らしていたようだな。だからといって仏の垂迹である神の存在も認め、神のおわす社のただずまいを優雅なもの、棄てがたいもの、たいへんよいものと感嘆した」
  わが輩は、唯一神を唱えて他神をすべて排斥、あるいは抹殺しようとするよりは、多くの神がいることを認める方が平和だと思った。もっとも、この国はいま、神も仏もいないようだ。まさに、神も仏も一種のツールとなってしまったようだ。つまり、便利な道具ということらしい。これも方便かも。となれば、いまこのときを大切にするわが輩らの考えとなんら変わらないかも。神や仏などもちださないのでシンプルでなおよい。

「赤とんぼ 行き交う空や 夏暮れぬ」 敬鬼

徒然随想

-仏と神