南岸低気圧とかいう雪降らし低気圧が通り過ぎ、交通や物流などに甚大な雪害をもたらしたが、どうやら通り過ぎたようだ。朝から陽射しが温かく、しばらくご無沙汰だった日溜まりでの午睡を楽しんでいると、男あるじがお邪魔虫よろしくやってきた。そしていくぶん興奮気味に、
「おい、寝ている場合じゃないぞ。こんなりっぱな女の子が世界にはいるんだな」とのたもうた。
 吾輩はいったい何ごとかと男あるじの顔をそっと盗み見ると、男あるじは顔を上気させ、しかもかなり分厚い本を手に持っていた。そして、
「これは『わたしはマララ』という本だ。マララというのはパキスタンの北部、アフガニスタンに近いスワート渓谷に育ったひとりの聡明な少女のことだ。本が大好きだし、学校に通い、テストで1番になることも大好きな少女だ。彼女の生まれた地方はタリバンが勢力を持つ所で、女子に対してはイスラムの教えを遵守することを強く求め、また女子には教育は必要が無いとして学校を爆破したりした。反タリバンの人々を鞭打ち系にしたり、殺したりもしていたというぞ。タリバンというのはイスラム主義運動の過激派をさし、歌舞音曲の禁止、仏像なども偶像崇拝として排撃した。」と話し出した。 吾輩は、21世紀にもなってまるで中世のような世の中があることにびっくりした。とくに、次世代を生み育てる女性に対する差別はとうてい認められるものではない。吾輩は、すっくと首を挙げ、マララという少女に対する尊敬の念を示した。男あるじも同感と見えて、
「なんと、このマララは学校から帰る途中のスクールバスのなかで、名指しされたうえでこめかみを銃撃されたのだ。少女を銃撃するなんて人間のすることではない。でも幸いにも銃弾は急所をはずれ、数回の手術の結果、後遺症も残らずに回復することができた。この少女の命を救うために、母国パキスタン、そしてイギリスの病院が全力をあげて治療にあたったという。この少女はパキスタンではすでに、女性に教育をと主張する有名人だったようだ」と続けた。
 吾輩は、マララの話をもっと聞きたいので、先を促し、「どうして一冊の本、一本のペンなんですか」と問うた。男あるじは、
「そうだ、そこなんだ。この少女はまだ16歳なのだけれども、ニューヨークの国際連合本部に招待され、女性に教育をという演説を行った。マララは、『私たちはすべての子どもたちの明るい未来のために、学校と教育を求めます。私たちは、平和とすべての人に教育をという目的地に到達するための旅を続けます。誰にも私たちを止めることはできません。私たちは、自分たちの権利のために声を上げ、私たちの声を通じて変化をもたらします。自分たちの言葉の力を、強さを信じましょう。私たちの言葉は世界を変えられるのです』と述べ、その締めくくりで、『1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして1本のペン、それで世界を変えられます。教育こそがただ一つの解決策です。エデュケーション・ファースト』と世界に向けて訴えたのだ。世界を変えるのは銃ではなく、教育だというマララの主張は世界の人々の心をとらえた」と結んだ。
 吾輩も学校には通った経験がないが、夕方の散歩に学校に近くをとおると子ども達が楽しそうに野球をしたり、サッカーをしたりしている。もしメダカの学校ならぬワンワン学校があれば通ってみたいものだ。だれかマララのように犬にも学校をと訴えてくれないものかな。

 「学校の喚声ひびき山笑う」 敬鬼

徒然随想

- 1冊の本、1本のペン-