男あるじの趣味のひとつに海釣りがあるようだ。なんでも、昨晩は明け方に上機嫌で魚臭い匂いをさせてご帰還だった。イカ釣りとしゃれ込んだらしい。昼過ぎに起きだし、クーラーボックスを開けて、釣果であるイカをわが輩にも自慢げにみせた。そこには26杯のマイカやらスルメイカやらが重なっていた。こんなあるじの手にかかって釣られるとは口惜しいのだろうか、眼はどれも虚空を睨んでいるように見えた。
 男あるじがまだ寝たり無いと言った表情で、
「イカは夜釣りと決まっている。集魚灯にイカをおびき寄せてそこを釣り上げるのだ。餌は疑似餌だ。イカの脚が絡みつきやすいように紡錘形をしていて、イカが本物の餌と見間違えるように赤、黄色、青などで彩色してある。イカ釣りの仕掛けは、これを5本程度、間隔をおいて付けてある。これにおもりを付けて海底まで沈め、あとはゆっくりと巻き上げ、イカが抱きついたら、引き上げる。まあ、初心者でも、それなりの釣果を上げることができる」と話し出した。わが輩は、これは長くなりそうだと、男あるじから離れようとしたら、むんずとリードを握って離してくれない。やれやれ。
「イカ釣りの光景は美しい。昔は漁り火をたいてイカ漁をしたので、岸から、漁り火を掲げた船が見えて、それは風情のあるものだった。いまは、LEDを利用して、強くまぶしいくらいの光でイカをおびき寄せる。漁り火というよりは、集魚灯といった方が適切だ。これが海上に浮かんでいる。まるで、そこだけ明るいネオンが輝いているようだ。それでも、照らされる海面は限られるので、暗い海から白いイカが現れてくる。イカは海面から釣り上げられると、墨をはいて威嚇する。脚には吸盤がある。けっこう、強い力で吸い付く。下手に取り込むと、墨をかけられ、口で噛まれる。相手も、餌だと食いついたら偽物で、しかも海中から引き上げられるのでびっくりしているようだ」と男あるじは、釣りの情景を語る。 わが輩は、釣りなどまったく関心がない。あのような下手物を口にしたら、確実にお腹を壊してしまう。くわばら!くわばら!それにしても、人間どもは、スーパーにゆけばイカなど安く手に入るのに、何故に、お金と時間をかけて海釣りにゆくのだろうか。わが輩には、とんと解せない。そこで、上目遣いに男あるじに尋ねてみると、
「うん、良いところに気が付いたな。それは狩猟本能によるのだ。人間もかっては、山や海で獲物を求め、狩りをしていた。これは生きる行為そのものだった。人間も生きるためには、他の生き物の命を頂かなくてはならない。ご先祖様たちは、山や海で得られるものを山の幸、海の幸と呼んで大切にした。命を繋ぐために命を頂くからだな。だから、幸として感謝の意を示してきた。人間が生きるための食を農耕と牧畜から得られるようになると、狩猟に頼らなくても済むようになったが、しかし太古の人々がもっていた狩猟本能は潜在化しても残ったというわけだ」と解説する。
 なるほど、人間どもは、われらこそ文明人と考えているけれども、野生の血も引き継いでいると言うことのようだ。すると、われらイヌ族にも、狩猟本能は残っていることになる。当てがい扶持がなくなり、居候根性が消えれば狩猟本能が蘇るわけだ。それにしても、食が満ち足りているのに、人間どもは狩猟などするのだろうか。狩猟本能が遊び本能とリンクしたってことかな。

「漁火と 銀河のはざま 烏賊輝る」 敬鬼

徒然随想

  -漁り火−