徒然随想

-意図(続)−
   心理先生と男あるじとが、あーでもない、こーでもないと話しているところに、女あるじが洗濯物を抱えて出てきた。そして、吾輩が意図を持つかどうかについての、のんきな論争を聞いて、間髪をいれず、
「クウタローが意図をもたないって、この子は自分の意図を持つばかりか、人の意図もよく分かるのよ。何を馬鹿げた言い合いをしているの」とのたもうた。
  なるほど、意図を持つと言うことは相手の意図も理解できると言うことなのか、吾輩は納得して女あるじの顔を見つめた。すると、男あるじが、
「たしかに、こいつの行動を見ているとハッピーちゃんに早く会いに行こうというような振る舞いをするな。でも、それは人間が擬人的に解釈しているだけかもしれない。昔、賢い馬のハンスというのがドイツにいて、それは足し算ができるというので評判になった。調教師が数字の書かれたカードを2枚見せてから、いくつになるかを言わせたんだな。もちろん、ハンスは言葉がしゃべれないので、正答を前足で床を叩く回数でいわせた。例えば、4と3のカードを見せると、前足で床を7回打ったと言うんだ。馬が計算能力を持つなんて信じられないと考えた学者たちが、調教師が観客に分からない合図をハンスに送っているのだろうと疑った。そこで、調教師のいないところで同じことをやらせてみた。しかし、ハンスはみごとに正答することができた。そこで、さらにカードを見せた後でハンスだけを残し、人間が部屋から退場して、物陰からハンスが正答できるかを確かめたところ、ハンスはいつまでも前足で床を叩くことをやめなかったという。ハンスは、前足で正しい数を答える際の周囲の人間の緊張した雰囲気を感じ取って、前足で叩くのを止めていたんだね。」
吾輩は、うーんとうなった。
「ハンスには計算能力はないけれども、もっと大事な能力をもっていたんだな。人間の緊張した顔つきを読むなんて、たいした野郎だ」と妙に感心した。ところで、意図論争はどうなったんだろうと二人の心理学者を見上げると、
「意図は意図通りには説明できないな、でも他者の意図を推定できることも、自分が意図をもつことの存在証明になる」と心理先生はいい、続けて、
「いま、3歳の子どもにチョコレートの箱を見せて、
『何が入っていると思う』と尋ねるとする。
子どもは、いつも食べている箱なので
『チョコレート』と答える。
しかしふたを開けて見ると、そこには鉛筆が入っている。そこで鉛筆を箱の中に収めてから
『最初に見たときには、箱の中に何が入っていると思った』と尋ねると、3歳児は
『チョコレート』ではなく
『えんぴつ』と答えてしまう。
さらに、
『別の子どもがこの箱を見たら、何が入っていると思うかな』と尋ねても、またしても
『えんぴつ』答えてしまのだよ」と言ってフッフッと笑った。
  吾輩は、口をあんぐり開けて男あるじを見ると、これも口をだらしなく開けてお愛想笑いをしていた。心理先生は解説を続けて、
「3歳の子どもは、このように相手の心を推定して『チョコレート』と言うことができないが、4歳になると『チョコレート』と言うことができるようになるんだ。つまり、自分の心ではなく、相手の心の存在を推定して答えることができるようになっていく」
吾輩と男あるじは、口をあんぐりと開けたまま聞き入っている。そこで、吾輩は、
「すると何ですな、3歳の子どもは相手の心の存在を仮定することができないから、相手をだますこともできないってことですかね」ときいてみる。心理先生は、吾輩を犬の分際でと妙な関心を示しながら、
「そういうことだな。いま、子どもの目の前で2つの箱の中のどちらかに金貨を入れ、その後、泥棒と王様がやってきて、『金貨はどこにある』と尋ねるとする。4歳児は、泥棒には空の箱を教え、王様には金貨の入っている箱を教えることができるが、しかし3歳児は、泥棒にも王様にも金貨の入っている箱を教えてしまうじゃよ」
  吾輩は、この家の者たちをあざむき、だますことは朝飯前だ。吾輩に心も意図もあることはこれで証明されたと確信したのだった。吾輩もオセローになれるんだ。

 「(イアーゴ)おれの悪巧みに一石二鳥の仕上げをすると、どうしたら、待てよ。オセローの耳につぎこんでやる、あの男は奥さんに少々なれなれしくしすぎるとな。」(シェークスピア)