新年もはや11日目となった。日にちの経つのは早いようだ。わが輩も、いつもと同じように、寝正月を決め込んでいたが、祖母さんや孫を連れた息子夫婦が訪ねてきて、おちおちと寝てもいられなかったな。今日からは静かな日常が戻ってきそうだ。
 そこへ、男あるじが2階の書斎から降りてきて、正月11日は『鏡開き』だとのたもうた。お汁粉、お汁粉と叫んでから、続けて、「鏡開きにはお汁粉と決まっている。これもお祝い事だからおろそかにしてはいけないぞ。そもそも正月を迎えるに当たっては注連縄を飾り、元旦を屠蘇で祝い、七草粥、鏡開きと行事が続く。これらは、いずれも新しい年の多幸を願い、また病気や貧乏など邪気を払うという意味をもっている。正月7日に七草粥を食するのは、一年間の無病息災を念じてのことである。春の七草とは、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ(蕪)、スズシロ(大根)の7種類のことをいう。これらは栄養はないが、野菜や野草なので健康に良いものが選ばれている」と講釈した。
 わが輩は、野菜というものを食さないので、七草がどんなお味なのかは分からないが、旨そうには感じられない。われわれイヌの仲間は、基本的には肉食である。タマネギを食したら大変だ。
  それにしても、人間は正月をいろいろな行事を設定して楽しく過ごすようだ。お年玉にはじまり、羽根つき、初夢、書き初め、たこ揚げ、独楽回し、双六などなど、大人はいざ知らず子どもには楽しい時間なのだろう。そういえば、童謡にも、「もういくつねるとお正月 お正月には 凧あげて こまをまわして 遊びましょう はやくこいこいお正月 もういくつねるとお正月 お正月には まりついて おいばねついて 遊びましょう はやくこいこいお正月」とあるな。
わが輩が「フーフーフィーン、ウーウーワン」と口ずさむ童謡を耳さとく聴いた男あるじは、「この童謡は、あの荒城の月や箱根八里、はるのうららの隅田川で有名な花を作曲した滝廉太郎によるものなのだぞ。簡単だが、正月を待ち望む子どもの気持ちが歌詞にもメロディーにもよく表れているな。ちなみに、歌詞は童謡作家の東くめによっている。鯉のぼり、雪やこんこ、鳩ぽっぽはこの人の手になるものだ。もっとも、いまや子どもたちには歌われないかも知れないがね」と子ども時代を懐かしむように語った。
 わが輩は、正月だろうが、お盆だろうがかまわずに惰眠をむさぼるのを常としているが、人間どものように、季節季節にまつわる行事を行えば、楽しいものなのだろう。「鬼は打ち福は外」、「雛飾り」、「鯉のぼり」、「夏祭りと秋祭り」、「お月見」など、楽しい行事が次々とやってくる。この家も、子どもが小さい頃にはこのような行事をまめに行っていたらしいが、子どもが成人するといつしかおろそかになっているようだ。それにしても、わが輩のように、いつも惰眠をむさぼるのも悪くはないが、こんなのんべんだらりんとした過ごし方だと、不思議と季節が早く過ぎていく。もし、イヌたちも、人間どもと同じように、季節の行事があれば、それらは楽しい思い出となり、心の暦も充実するに違いない。この点は、人間どもの暮らしの智恵には敬服する。

「正月を 待ち望みしは 幾星霜」 敬鬼

徒然随想

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