徒然随想

 梅雨のまっただ中、よく雨が降る。吾輩は雨の中でも散歩は欠かせない。なにせ、小用と大用をしなければならないし、一日の終わりに外の世界を回るのは一番の楽しみでもある。あちこちに吾が同胞の匂いがまき散らされているし、また旧友にも再会できるからだ。今日も雨の中、男あるじと、最近血糖値が気になる女あるじとで市民公園までの散歩に出かけた。こんなふうに毎夕散歩を決まった時間にしていると、お馴染みさんができる。向こうもこちらをみて、愛想笑いをしたり、威嚇したり、あるいは待ち伏せの姿勢をとったりするから楽しい。吾輩もそんな相手にあわせて、吠えたり、うなったり、じゃれついたりして挨拶を返す。
 こんな様子を見ていた女あるじは、わが輩たちの挨拶に触発されて、飼い主たちと立ち話をしはじめた。「まあ、かわいいワンちゃんですね。何というお名前ですか。うちのはクウちゃんといいます。空太郎というのが正式名というか、動物のお医者さんに届けた名前です。空太郎とその医者が記したので、訂正するのもなんですし、それからというものお手紙なんかも空太郎で届きますのよ」と長話を始めそうになったので、吾輩は散歩を促すために相手のイヌに吠えかかった。男あるじも長話にはうんざりする方なので、これ幸いに歩き出した。「飼い主同士が仲良くするのはかまわないが、長話はごめんだな」とぶつぶつ言い出したので、吾輩も首を縦に振り賛意を表した。男あるじは、
「退職後の年配の男の人が、一人であるいはイヌを連れて散歩するのをよく見かけるようになったな。この辺の団地に住む人も六十代後半から七十代が増えたと言うことだな。最近、年金の受給額の予測が新聞に載っていたな。もっとも、予測は経済状況などいくつかの前提条件をおかないとできないらしい。たとえば、経済成長率、年金加入率、賃金上昇率、年金開始年齢などだ。なに興味がない。そりゃそうだ。なんせ、おまえには年金はついていないからな。もっとも、おまえの餌代、医療費、それにちかじか必要になるおむつ代など、われわれの年金から支出されているのだぞ」とのたもうた。これを聞いていた女あるじは、
「そんないいかたをしなくてもいいんじゃないかしら。まるで食わしてやっているのは俺様だみたいな上から目線丸出しだわ。クウちゃん、気にしないでね。クウちゃんに必要な費用はお母さんがみんな出してあげるから。なにせ、3番目の息子だからね」と吾輩をかばった。
「最近の新聞によると、われわれの娘や息子が受給できる年金は、老齢基礎年金を含めて23万円くらいらしいぞ。それも日本経済が今程度に成長するとしての話だ」と続けた。
 吾輩は生まれ落ちたときから居候なので、生活費だの、保険料だの、税金だの、年金だのとはまったく無縁の生活を送ってきた。これまでのイヌ生でひもじい思いをしたこともないし、病気なると動物のお医者さんにかかって直してもらったし、まあ文句のつけようがない。感謝、感謝というところだ。吾輩イヌたちには、金もいらず、名もいらず、ただ毎日が悔いないように生かされていればそれでよいと思っている。これに比べると、人間どもは、金だ、名誉だ、地位だと欲が深い。これらすべてを無くせば、この世もまた捨てがたいものなのに。 こんな吾輩の思いをのせてクチナシの香りを含んだ風が吹き渡った。

「梔子や匂いが運ぶ幼き日」 敬鬼

- 金もいらず、名もいらず