徒然随想

-新しい年のめでたさよ−
   明けましておめでとうございます。元旦を迎えた。吾輩にとっては10回目の元旦だ。といっても、何がめでたいのか、いつもの朝と変わりはない。あの虚子先生も
「去年今年貫く棒の如きもの」
と俳句によんでいる。
  この棒はさしずめ、鋼鉄の棒だろう。そのくらい時間というやつは剛直で、決して縮んだりはしない。
  夢は、その人自身も気がつかない心の深層にある望みや悩みを垣間 見せてくれる。吾輩も良く夢を見るが、きまって何かに追われているような夢があらわれる。
大晦日の夜もこんな夢をみた。
「いつものように、男主人につれられて散歩をしている。すると、しだいに周りが暗くなって道も急激な坂となる。こんな所があったかなと見回していると、そこへ巨大で真っ黒な怪物が後ろから追いかけてくる。吾輩は肝をつぶして男主人に助けを求めるが、男主人はいつの間にかいなくなっている。吾輩は逃げなければと懸命に足を動かすが、その足は鉛のように重くて少しも進まない。息も絶え絶えになり、大声をあげたが、声も出ない。ようやく、橋らしきところにたどりつき身を投げた」
このとき、男主人がトイレに起きてきて音を立て目を覚ました。
  これは、不安夢なんだろうか。追っかけてきた怪物は何を暗示しているんだろうか。ここは、心理学者だと称している男主人に聞いてみるしかないので、おそるおそる目で語ってみる。
男主人いわく、
「心に不安があるな。きっと、心身共に衰弱しているんだろう。追いかけるものの正体は、それがどんな形をしていようとも、時間なんだよ。生きとし生けるものにとって時間ほど無慈悲なものはない」
吾輩は、
「うーん、なるほど、けっこう的を射ているかもしれない」と関心のまなざしを投げる。
男主人は続けて
「時間は、生きるものすべてを食い尽くす。どんなに哀願しても許してはくれないし、待ってさえくれない。時間は、命あるものにとって怪物なんだ。どんなに地位が高くても、どんなに知識があっても、どんなに善行を尽くしても、時間に飲み込まれてしまう」
すると、
「吾輩の命は尽きると言うことなんだろうか。自分では元気でいると自覚しているが、心の深いところでは危機感をもっているだろうか」と尋ねてみる。
男主人は、
「まあ、そういうことだな。これも寿命だ。へんに抗わない方がよいな」と、したり顔にいう。
  吾輩は、これでも、科学というものを信用している。ところで、夢分析は科学なのだろうか。良くある占いではないのだろうか。占いなら当たるも八卦だ。ここまで考えてようやく安心の境地に辿り着いた。しかし、気味が悪い! こんな時は抱っこされているに限るな。

  「犬の子がねいるものかや子守歌」 (子規)