今朝は早朝から男あるじが庭に出たり入ったりしている。「何かあるのですか」と眼で問うと、「金環日食が見られるのに、なんと曇っているのではないか。せっかくのチャンスなのになんと言うことだ」と返事した。そして、また講釈をはじめた。 「金環日食というのは、月が太陽を隠す天文現象だ。皆既日食は、地球から見て月と太陽の見かけの大きさが完全に一致して太陽が隠れてしまうのをいうが、金環日食は月の見かけの大きさがわずかに小さく、月が太陽を覆っても、その周囲に金環が出現するのをいうそうだ。今回は、太平洋岸の多くの地域で観測できるのだぞ。これを逃したら、21世紀中には日本では見ることができない。いま、日本に生きている人の最後の機会なのだ。なんとか晴れてくれるといいのだが」
  わが輩は、日食でも月食でも、この世が終わるわけでもないし、わが犬生には関係ないなと思った。静止した太陽の周りを地球が公転し、その地球の周りを月が回るのだから、太陽、月と地球が重なることはある確率で起きるのだろう。それにしても、日中はいつも輝いているお天道様が昼日中にお隠れになるのだから、現象としては不可思議といえよう。
「地球を起点として考えると、太陽は地球を1年で1周する。この太陽が動く道を黄道というのだぞ。月は地球を約1か月で1周する。この月の道を白道とよぶ。そこでだな、もし黄道と白道とが一致していれば新月には必ず日食が、満月には必ず月食が起こることになる。しかし実際には黄道と白道とは約5度の傾きでずれているので、日食や月食が起こるのは黄道、白道の交わる点付近にいる時に限られるというわけだ」と講釈の続けた。
 男あるじは、この間、しきりに東の空を見上げていたが、やおら、眼鏡のようなものを取り出して陽の差してきた方向を見た。そして、
「見える見えるぞ、太陽が右上方から隠されてきている。どうやら、日食が始まったらしい。まるで、太陽が巨大なものによって蝕まれていくようだ。地平に垂れ込めていた雲も薄くなり、太陽も高度を上げてきたのでよく見えるようになった。どうだ、おまえも見てみるか」といって、男あるじはわが輩の目の前に眼鏡を差し出したので、キャンと言って拒否した。わが輩には、太陽がどのこうの、地球がどうのこのといったことにはまったく関心がない。もっといえば、この世が何で成り立ち、この世の果てには何があり、またこの世の終末が来るのか、なんてことには興味がわかない。わが輩には、朝の散歩、散歩で出会う愛しの彼女、朝飯、朝寝、そして気持ちを和らげる午睡、そして一日のフィナーレを飾る夕方のウオーキングがあれば、それ以外はどうでもよいのだ。まあ、一口にいえば、日々是好日であることのみを願っている。
  そんなこんなを思っていると、男あるじが金環日食になったと叫んだ。そういえば、なんとなく辺りが暗くなったようだ。でも、わが輩が想像したよりは明るい。太陽の光は強烈なエネルギーなのだな。太陽のほとんどが喰われてしまっているのに、ちょうど薄曇りくらいの明るさは残っている。フィルターのついた眼鏡を覗いていた男あるじは、
「なんいったらいいかな、良い表現が見あたらないが、さしづめ、『玄妙な美』といえばよいのだろうな。人間が人工的にはけっして作り出すことのできない自然現象だから、深い趣があるとでもいうのだろう。真なる黒円の周囲が黄金に輝いている。妖艶であり、厳粛でもある美しさだな」と感嘆した。

「新緑や玄妙ならん金環食」 敬鬼

徒然随想

-金環食-