金木犀の花の芳しい匂いが庭中に立ち籠めている。わが輩は、この匂いが好きだな。残暑も終わり、本格的に秋の訪れを告げる匂いだ。この匂いに囲まれて寝そべるのは至福のひとときだ。もっとも、最近は、人間どもがこれをトイレの芳香剤に利用したので、トイレを連想させるそうだ。なんと、無風流なことよ。こんなことを、つらつらと思い巡らしていたら、そこへ、折悪しく男あるじが出てきた。「金木犀が匂う季節になったな。中秋と言って良いな。我が家の金木犀は、殊の外、上品な匂いを発する。これも、冬の間にたっぷりと肥やしを施してあるからだ。この匂いは、けっこう遠くまで風に乗って漂う。山口青邨の句にも『木犀や月明らかに匂ひけり』というのがある。月明かりの中でも木の正体は隠されていてわからないが、しかしはっきりと匂ってくる。近くにこの匂いの正体がしっそりと佇んでいると、詠んでいる。風情がある良い句だな」と話し出した。わが輩は、木犀の香りよりはガールフレンドのおしっこの匂いの方がはるかに香しいのだが、男あるじ、いや人間どもはその辺はまったく気が付かないらしい。ものが存在しても、それを感知する感覚器がないと存在しないに等しいのだ。
 男あるじは続けて、
「ところで、金木犀の花言葉を知っているか。『謙遜』、『真実』、『初恋』あるいは『陶酔』とある。花言葉は、草花の形、色、匂い、背丈などの特徴から受ける印象を言葉で表現したものだな。実際に言葉でコミュニケーションをとる代わりに、花をやりとりすることでコミュニケーションをしたわけだ。そのためには、どの花が何を象徴しているかがお互いにわかっていないと通じない。例えば、赤いバラは情熱的で甘美な愛情、白いバラは美徳や純潔、黄色いバラは友愛や献身をそれぞれ示すというようにだ。こんな奥ゆかしい風習は、19世紀のイギリスではじまったようだ。もっとも、起源はギリシャにあるとかオスマン朝時代のトルコにあるとか諸説がある」と話した。
 わが輩は、もとより『花より団子』だから、花言葉には関心がない。お気に入りのハナちゃんに告白するときには、もっと素直に、ストレートにする。もっとも、成功率は低いのが残念だ。人間どもはストレートに感情を表現するよりは、何かに託して告白するのがお好みのようだ。そういえば、日本の女子サッカーのナショナルチーム名は撫子だったな。これはどういう花言葉がついているのだろう。わが輩の問いを察知した男あるじは、さっそく、書斎に入り調べた。そして、慌ただしく階下に降りてくると、
「わかったぞ。撫子(なでしこ)の花言葉は、純粋な愛、無邪気、貞節、才能とある。まあ、なんというか、これの意味するところは、純真な気持ちというところだな。つまり、大きな目標に向かってひたすらに努力する姿を連想することができるな。身体能力、練習環境など恵まれていなくても、黙々と邁進する女子チームには、まことにふさわしいニックネームといえる」
 これにはわが輩も異存はない。日本の女子は撫子に喩えるのは、まことに適切だ。ところで日本の男子はどのような花に喩えることができるのだろうか。「うーん。これは難しい」と男あるじがうなった。

「夕餉時 匂い競うか 金木犀」 敬鬼

徒然随想

 金木犀−