2月も半ばを過ぎたのに、今年は寒さが厳しく、日向での昼寝の時間も少なく、いらいらがつのってきた。わが輩には、午後の昼寝は至福の時なのだ。とくに、小春日和の午後のまどろみは何ものにも代え難い。全身がほどよく温められ、ありとあらゆる筋肉が弛緩する。このけだるさが実によいのだ。一種の麻薬のような効果があるらしい。寒い北風の吹く庭で震えながら、春よ、早く来い来いと念じているところへ男あるじが、これも防寒具に着ぶくれてあらわれた。そして、なにやらぶつぶつと唱えている。「むつききさらぎやよいうづきさつきみなづきふみづきはづきながつきかんなづきしもつきしわす」
 どうやら、口で反復し覚えようとしているらしい。そうか、たしか、昔の月々の呼び名だったなと合点した。そこで、すでに死語になっていることばをなぜに覚えようとしているんざんすかと眼で尋ねると、男あるじは、
1月、2月、3月なんて言い方は味気ないものだ。これは符牒のようなもので、その月がどんな気候で、どのような行事があり、どんな風情なのかをまったく表していない。それに較べれば、昔の月名は趣があるな。陰暦の1月は睦月と呼ばれる。みなが集まり睦み合うからだという。2月は如月で寒さが厳しく着るものを更に重ねることから着ている。3月は弥生で弥や盛んに芽吹くから、4月は卯の花が匂うので卯月、5月は稲作の月で皐月、6月は日照りで水が無くなるので水無月・・・といったふうだ。どうだ、風情があるだろう。これらは陰暦なので、太陽暦にあわせると季節感がずれる」
 男あるじは、最近、俳句とやらに凝っているので、陰暦の月々の呼び名に興味をもったらしい。たしかに、ナンバリングした月々の呼び名では俳句は作れないだろうとわが輩も感じた。「その通り、たとえば、稲畑汀子に『東京に如月の富士見ゆる朝』という句がある。『東京に2月の富士見ゆる朝』では趣がでない。如月という言葉には、冷え込んだ寒さで澄みわたった気象といった語感が込められている。はるかに雪を頂いた霊峰富士が冷涼な空気の彼方に浮かんでいるといった意味にこの句はなる」
 わが輩は、ただただ、拝聴した。そこで、ふと、英語の月々の言い方、JanuaryFebraryMarch・・・・にも、それなりに意味があるのかなと、それとなく眼で尋ねてみると、「もちろん、それぞれにいわれがある。ほとんどはローマ神話の神や古代ローマ帝国の皇帝の名前からきているようだ。たとえば、Januaryはローマ神話のヤヌス神(Janus)に、Februaryは贖罪神ファブラウス(Februs)に、Marchは軍神マルス(Mars)に、Aprilは愛の女神ビーナス(Venus Aphrodite)に、Mayは成長の女神マーイア(Maia)に、Julyはローマの英雄ユリウス・カエサル(Julius Caesar)に、Augustは初代ローマ帝国皇帝アウグスツゥス(Augustus)にそれぞれ由来するといわれる」
 なるほど、そういうものか。英語の月名にも由来があり、その月への期待がこめられているような気がするな。日本でも英雄や神から月名をとるならば、1月は神武、2月は応神、3月は神功なんてことになるかもしれない。それよりは日本の気象条件によってかわる花鳥風月、風俗、農耕などの特徴を捉えて命名されてた月名の方が好ましいな。もっと活用したらよいのに。

「きさらぎの夜明けの空や白い月」 敬鬼

徒然随想

-きさらぎ-