徒然随想

-恋する相手−
   今朝も暖かな陽気だ。こんな日は、庭の日溜まりで丸くなり寝そべっているに限る。これは、人間どもにはまねできないだろうな。こんな気持ちがよい状態はない。
 まあ、人間がよくするというぬるま湯につかっているようなものだろう。身体がほんのりと温まってくると、眠くなる。眠くなると言っても夜のように本格的に寝るのではない。うとうとと、頭の中をぼんやりとさせることなのだ。こうすると、頭が緩くなるばかりではなく、身体も弛緩してくる。心身がゆるむというのが気持ちよいのだろう。
 日溜まりでのこんな居眠りをむさぼっているところに、この家の男あるじが、これもまた一身に陽を浴びたいのだろうか、ぼーとした顔をして出てきた。
「お前もようやくオスらしくなったな」と妙なことをいう。
「陽気のせいで頭がおかしくなったらしい。吾輩は、生まれて時から首尾一貫してずーとオスだったし、いまもオスだ。いまさら何を言うのか知らん」と顔をあげて男あるじを見つめると、男あるじは、「おちんちんがついているからオスだと思っているんだろう。それは早計だ。性の中枢がオス型になってはじめて、本当のオスになれる」とのたまう。
吾輩は、
「また、中枢か、勘弁してくれ。吾輩の意のままにならない中枢なんぞ、取り除いてしまいたいくらいだ」とつぶやくようにフィーンフィーンと答える。
男あるじは、
「おまえがハッピーちゃんには誤解されて振られてしまい、リリーちゃんには頼りない犬として振られてしまい、・・・・。つまり、振られても振られても恋をするのは、お前の性中枢がオス型だからだな」
吾輩は、
「それでは、オスに生まれても性の中枢がメス型になることもあるんでしょうか」と目で問うと、
「それはあるらしいのだな。お母さんのおなかの中にいるときにオスの性ホルモンであるテストステロンが十分に分泌されないと、性の中枢がメス型になってしまう」と答える。
吾輩は、何やら妙な気持ちになった。おちんちんがあっても心はメスだなんて、どうも理解できない。ということは、自分はメスだと感じているので、オスに恋するのかな。そこで、男あるじに尋ねてみる。
「あのですな、そのオスに生まれてもメス型の性中枢をもつ犬は、オスに恋をするのでやんしょうか、それともメスに恋するんでしょうか」
男あるじは、
「恋を支配しているのは、おちんちんがあるなしではなく、性の中枢の型だから、メス型の性の中枢はオス型の性の中枢に恋をするんじゃよ」と解説する。
ふーん、なんとも不思議だな。しかし合理的でもあるな。そうかメス型はオス型に恋をするのか。どうも、頭の中のことは複雑だ。吾輩の意志とは独立に働いているらしい。でもややこしいことがあるな。身体はオスで心はメスだなんて。まあ、吾輩はオスでもメスでもどちらでもよいと思うな。とにかく、春になり、恋をし、毎日がわくわく、いきいきとしていられれば、どっちでもよいことじゃないのかな。それにしても、神様の頭の中は複雑なんだな。身体と心をもっと単純にお作りなればよいのに。こんなことを思案していたら、身体も、こころも弛緩してきて何が何やら分からなくなっていった。

「なの花にまぶれて来たり猫の恋(一茶)」