この4月はよく雨が降る。今日も朝からしとしとと雨になり、午後には風も加わってちょっとした春の嵐といったところだ。吾輩は外に出られないので、家の中で朝寝から昼寝へとほとんど途切れることなく春眠をむさぼった。
 夕方、男あるじがやってきた。まだ、雨が降り止まないが出かけることにしたようだ。吾輩もおしっこがしたいので背伸びをして玄関に向かった。男あるじは、
「よく降る雨だな。この時期の雨は穀雨と呼ばれているが、それにしてもこの降りようでは酷雨だな。2日晴れて3日降るのでは堪らんな。穀雨というのは田んぼを湿らし百穀を育てる慈雨という意味だが、これじゃ田んぼも泥田と化してしまう」とぼやきだした。
 吾輩はおしっこがしたいので、大きく一声吠えて催促したら、女あるじが台所から出てきて
「早く散歩に連れ出して下さいな。おしっこらしいわ。玄関で粗相されたら後が大変よ」と男あるじの背中を押した。男あるじは、吾輩に雨降りようのレインコートを着せ、自分は傘を差して歩き出した。そして、
「穀雨の後は八十八夜を経て立夏となる。月日の過ぎるのは早いものだな。おまえのように日がな寝ていると、一日の変化が乏しいのでいっそう月日の経つのが早く感じられるだろう。記憶に残ることが少ないと思い出すことも少ないので月日の経つのが早く感じるのだそうだ。子どもの頃は毎日が変化に富んでいたので記憶する事柄がたくさんとなり、一日、一月そして一年が長く感じられる。でも歳をとると、毎日が決まり切ったことしか起きず、それらが記憶されることはなく、したがって月日の立つのは早く感じられるのだそうだぞ」とつぶやきながら歩き出した。
 男あるじに言われるまでもなく、吾輩は一日を判で押したように決まり切った出来事でのみ過ごしている。吾輩はこれこそ安穏な生き方と自覚しているので、そのせいで月日の経つのが早く感じられてもいっこうに頓着はしない。そういう男あるじの日常生活も決まり切ったことを毎日繰り返しているだけのようだ。まず新聞を取りに行くことからはじまってしばらく朝刊を読む、男あるじの分担である朝飯の用意、女あるじと娘を起こしに行く、そして朝食、吾輩の朝の散歩、また朝刊を読む、これらを毎日毎日繰り返している。この間に吾輩は昼食を済ませ、朝寝の支度に入る。男あるじは朝刊を読み終えるとパソコンを起動、メールチェック、男あるじが本業とする3次元視研究とかの論文の検索、興味ある論文を読んでの要約の作成、そして興味をそそられた本の読書で午前中が終わるようだ。二階の書斎から階下のリビングの移り女あるじが用意したパン食中心の昼食の後、男あるじが一日の内でもっとも楽しみとする午後のシアターと称する取り貯めたTVドラマの鑑賞、この後午後のメールのチェック、自己流のストレッチ、そして女あるじと連れだっての夕方のわが輩の散歩、そして入浴、マッサージ椅子での念入りのマッサージ、晩酌を兼ねた夕食、夜のNHKのニュースを中心としたテレビ、最後に読書をしながらの就寝で一日を終えるようだ。健全と言えば健全、平凡と言えば平凡な過ごし方といえよう。
 男あるじは、吾輩のこんな思いを読み取ったと見えて、
「そうだ、お前の思うとおりだよ。変化をあえて求めないところで毎日が好日と感じられる過ごし方をしているのだよ。いまさら、利を求めるつもりもないし、異性に恋い焦がれる気持ちも起こらない。そんなことよりは毎日を充実させることに腐心しているのだぞ。これが本当は一番難しい。平穏な中の充実だな。いまだその極意が分からないのが残念だ」と結んだ。

「穀雨やみ欅の新芽目に清か」 敬鬼

- 穀雨

徒然随想