師走も半ばになり、今年のカレンダーの残り日も二週間あまりでなんとなく今年も押し詰まったとうとうとしていると、男あるじが、新聞を片手にわが輩の縁の下にある庵に珍しくも出てきた。このあるじは、寒くなるとおっくになり、庭に出てくるのも出不精になるのはいつものことだが、今年は早く寒さが来たために、めったに出てこなくなっていた。わが輩には朝寝を妨げられなくてこれはこれで好都合なのだが、一週間も出てこないとなんとなく、そろそろお出ましかと期待するようになるから不思議だ。もっとも出てくれば出てくるでなんだかんだと話しかけるので面倒なのだ。  男あるじは、さっそく新聞を指しながら、
「なんと今年の漢字は『金』だそうだぞ」と言い出した。今年の漢字というのは、漢字能力検定協会とやらが、毎年、その年の世相を象徴する漢字を寄せられた要望から一字選ぶものだという。
「これには大いに違和感があるぞ。我が家にとってこれほど縁のないものはない。今年も年賀はがきの懸賞は4等が2葉当たっただけだし、サマージャンボ宝くじも全敗だ。あとは年末ジャンボに賭けるしかないのだ。それなのに『金』とは何事か」と憤懣やるかたなしのようだ。
  わが輩は、男あるじに、『金』が選ばれるにはそれなりに理由があるんじゃないですか、眼で尋ねると、
「まあ、3つくらいの理由が挙がっていたな。ひとつは金環食の金、2つ目はロンドン・オリンピックの金、そして3つ目が年金詐欺、消費増税など金の問題なんだそうだ。でもな、金環食は自然現象でこの年に限らないものだし、オリンピックも四年に一度は開催され日本は金メダルに事欠かない。強いて言えば年金とか財政の問題なんだろうが、それならば『迷』がふさわしいな。『迷』とは混迷の迷だ。『輪』とか、『乱』も候補にあったそうだ。候補の中では『乱』が今年の世相を象徴するものとしては適切だな」と大声を出してまくし立てた。
  わが輩も『金』は今年にはそぐわないのではないかと愚考した。というのも、金といえば黄金をイメージする。英語でもgoldだ。金ぴかで豪奢なイメージをもつ。ツタンカーメンの黄金のマスク、中尊寺の金色堂、金閣寺、秀吉の黄金の茶室、これらは現代でも燦然と輝き、当時の富力の豪勢と威勢を伝えるものだ。こんなことを思っていると、男あるじはわが輩の思いを察して、
「そうだろう。知的特訓の成果でおまえもやっと良識がもてるようになったようだな。今年の日本は、政治、経済、文化、スポーツなどでとりわけ燦然と輝いたものがあっただろうか。もちろん、個々にはオリンピックで金メダルを獲得したとか、ノーベル賞に輝いたとかはあった。しかし、政治は与党の内紛、野党の政局志向で政治課題が決められずに混迷、経済は円高、中国の日本品の不買、石油燃料の輸入量の過大などで停滞いや減退した。このような世相を漢字一字で表せば、『迷』あるいは『乱』がふさわしいとおもうだろう」とわが輩に同意を求めた。
  同意を求められたが、世相を漢字一文字で表そうというのがそもそも無理なのではないかとわが輩は思案した。これまでのその年の漢字を思い出してみると、去年が『絆』、一昨年が『暑』、09年『新』、08年『変』となる。この一漢字からその世相がイメージできるだろうか。強いて言えば『絆』だけだろう。これは未曾有の東日本大震災が発生し家族や仲間などとのつながり、地域や社会そして国境を越えた地球規模の人間同士のつながりを受けて、「絆」が選ばれたと聞く。これは良い選択だったなとわが輩はあらためて感じた。しかし、それ以外は何か変だな。もっともわが男あるじのごとく、自分が金に縁遠いからと言って『金』はふさわしくないというのはあまりにも私的で狭く、これも変だな。

「師走風 人の気持ちを 忙し立て」 敬鬼

徒然随想

-今年の漢字は「金]