徒然随想

-好意の返報性−
   何やら大声で言い合っている。良く聞いてみると、この家の男あるじと女あるじの声のようだ。
「いつもそうなんだから。わたしが頼んだことをちっともやってくれないじゃないの」
と女あるじが声高に言う。
「いやいや、忙しくてね。だいたいそんなくだらないことをやる必要はないね」
と男あるじが声を意識的に抑えて応える。
「そうだったら、なんではじめにそういってくれないの。わたしがやったのに」
とますます声を張り上げる。
「うーん。家は人が使えば汚れるものだぞ。そんなに掃除、掃除と言わなくてもいいじゃないか」
と男あるじ。
「何言ってるよ。わたしがせっせせっせと掃除するから気持ちよく住めるんじゃないの。自分で何もしなくて虫が良すぎるわ。私をなんだと思っているのよ。女中じゃないのよ」
と叫ぶように言い、何やら割れるような大きな音がした。
 やれやれ、はじまったなと吾輩は首をすくめた。最近は平穏だなと思っていたのに夫婦喧嘩のようだ。
 このような喧嘩では、男あるじは、きまって分が悪い。無理もない。家事は何もしないし、引き受けたこともしないのだから。
 たしか、男あるじが吾輩に説教していたことがあったな。
「いいか、クウタロー。わたしがおまえの好きな散歩に連れて行ったやったなら、かならずその好意に対してお返しをしなくちゃいけないぞ。悪い者が来たら吠えるとか、お客さんの前では芸をみせるとか。これは好意の返報性といって大事なことだぞ」
 この家の男あるじは、いっぱしのことは言うが実行はできない人物の典型だな。有限不実行もいいところだ。女あるじが好意を示しているのに、好意を返したことがない。これじゃ、熟年離婚も間近かも知れないな。誰でも好意を示しても好意が返らなければ、馬鹿らしくなってしまうに違いない。女あるじは、どうやら、好意に対して好意が返らないので堪忍袋の緒を切ったようだ。
   どうやら、人間というのは、他の人からほめられたり、好かれたり、プレゼントされたりして賞賛や好意を受けると、その相手に対して好意を感じるようになり、自分もその好意に報いるように行動するようだ。逆に、相手から批判されたり、嫌われたりすると、その相手が嫌いになり、自分も相手を嫌いになるのだろう。そうだとすると、「好意の返報性」は、夫婦関係、友人関係を維持するための大事なことなんだなと吾輩は考えた。
   吾輩犬族も、ギブアンドテイクを守って生きている。犬族は臭い外交をするので、気に入った臭いの持ち主には自分の臭いを少しかけ好意をもったことを返す。嫌な臭いの持ち主にはたっぷりとおしっこをかけその臭いを消してしまう。
   言い合いはさらに続いているようだ。でも、決着はいつも同じだ。分が悪くなった男主がぷいと外出して終わり、女あるじも憤然と外出し、晩飯になっても帰らない。まあ、女あるじのストライキといったところかな。
   ところで、吾輩の夕方の散歩と晩飯はどうなるのかな。家は平穏なのか一番だな。ちょっとした心遣いで平穏でいられるのに、人間はギブアンドテイクという基本的なことがどうしてできないのだろう。
この家の男あるじもいたく反省したようだ。

「誰か我を
「思ふ存分叱りつくる人あれと思ふ。
「何の心ぞ。」(啄木)