仲秋に入り朝晩、めっきり涼しく、いや寒さを感じるほどになった。わが輩は、寒さには強いので心地よい。いつも昼寝をする野村紅葉の木も色づき初めているようだし、金木犀も芳香を放ち、ハナミズキの実も赤く色づいているらしい。もっとも、わが輩の色覚では、あざやかな赤色は見えないので残念だ。こんな秋の日は、陽射しも気持ちよく、昼寝をしても、うたた寝をしても快適そのものだ。まるで、ぬるま湯に浸かっているような気だるくも、全身が弛緩して気持ちが安らぐ。こんな状態が夕方まで続けばと念じていたが、折悪しくも、男あるじに見つかってしまった。最近は、無聊をもてあましているのか、頻繁にわが輩にちょっかいをかけるので困る。 「秋だな!野村紅葉も色づいてきたな。空気もさわやかだし、こんな日は外にいるに限るな」とぶつぶつ独り言を言う。そして、続けて、
「『秋の夕陽に照る山紅葉』と唱歌にも歌われているように、錦織り成す豪華な着物を山が羽織ったように見えるな。昔の人は、このような景色や紅葉した木々を畏敬し、錦を羽織った山をあたかも人、いやあまりにもあでやかで妖しいので人を越えた鬼女に見立てた。それが、能の『紅葉狩』に謡われ、舞われた」となにやら、仲秋の紅葉からはずれて話し出した。薀蓄ならまだしも、付け焼き刃の知識を傾けるので、学者は嫌われる。
「能の『紅葉狩』は、『紅葉伝説』を踏まえたものであるんだよ。『紅葉伝説』では、会津から京に上った美女の『紅葉』が源経基の目にとまり、腰元となりやがて局となった。『紅葉』は経基の子供を妊娠する。さらに御台所に昇ろうと御台所を呪詛するが、比叡山の高僧に看破され、信州戸隠に追放されてしまうのだな。ちょうどもみじの季節に、『紅葉』は戸隠の寒村鬼無里に辿り着いた。経基の子は経若丸と名付けられ、一時の間、村びとも村の各所に京にゆかりの地名を付けたりして『紅葉』を崇めた。だが、京での栄華は忘れがたい。京に上るための資金を集めようと、戸隠山に籠り、夜な夜な他の村を荒し廻った。この噂は戸隠の鬼女として京にまで伝わった。都ではこれをうち捨てておけず、平維茂が鬼女討伐を任ぜられ、戸隠の笹平に陣を構え出撃した。待ち構えた『紅葉』たちは美しく装って「毒の平」で毒の酒をすすめたところ維茂に見破られ、維茂が剣の一撃によって首を跳ねられてしまう。これが謡曲『紅葉狩』のストーリーだ」
 なんと恐ろしいお話だな。くわばら!くわばら!いやはや、女のさがかもしれないが、鬼女にまでされてしまった『紅葉』がなんともあわれだな。一番悪いのは、手を付けた源経基ではないかな。都から討伐の兵士まで送られ、首まで取られてしまうとはな。まあ、このような女の生涯を哀れみ、能として謡われ、後世に伝えられることになったんだろう。男あるじは、さらに、
「この『紅葉狩』と深い関わりのある寺が戸隠の栃原にある曹洞宗の大昌寺であるが、これはわが家の菩提寺なんだな。つまり、わが家の者は戸隠の出身と言うことになる。この寺の近辺には鬼女が住んだという岩屋があったり、首塚があったりする。お寺には紅葉狩(鬼女紅葉)を絵巻様に描いた画軸、紅葉ゆかりのものが寺宝として保存さえていると言うことだ」  
  もみじや楓の紅葉は、それは見事なものもある。それを女性に喩えるのは真っ当としても、鬼女にまでしてしまうのはどういうものかな。きっと、色鮮やかに色づいた紅葉には男を惑わす妖しい美があるのだろうなと、この話を聞いてわが輩はおもった。

「夕陽受け 緋の衣着たる もみじかな」
 敬鬼    

 

徒然随想

  -紅葉−