徒然随想

- クリスマス会

 師走に入った。でも温かい日が続くので吾輩には具合がよい。縁の下から這い出て庭の真ん中で女あるじが敷いた毛布に丸まってうたた寝をすると身も心も弛緩して極楽極楽だ。 男あるじと女あるじは、そろって保育園のクリスマス会に朝から出かけていった。孫のお供ではなく、最近始めたお迎えボランティアの子どもに招かれたらしい。お迎えボランティアというのは、市のファミリサポートセンターから依頼され、夕方の6時までに子どもを迎えに行けない人のために、代役で子どもを保育園に迎えに行き自宅まで届けるというものらしい。
 男あるじと女あるじも、2年前にはけんちゃんと言う元気な男の子の送迎をしていたが、この子が小学校に入学したのでお役御免となっていた。今度も3歳齢の男の子で、しゅんちゃんという。吾輩の所にも挨拶に来たが、はじめはなにかこわごわとしていた。女あるじに、大丈夫だから触ってごらんと励まされ、吾輩の背中をそーっと撫でた。吾輩は触られても知らん顔をし、尾っぽを振って温和しいところをみせてやった。
 男あるじは、自分の子どもの時には保育園はおろか学校の父親参観にも出席しなかったのに、いそいそと出かけていくので変われば変わったものだ。老い先が短いので、自分の子育てでは何もしなかった罪滅ぼしのためだろうか。
 夕方、男あるじは吾輩との散歩のために出てきて、クリスマス会のことを話し出した。「なんだな、子どもというのは活気があるものだな。合唱といい、器楽合奏といい、それはそれは精一杯大声を出して大勢の両親や祖父母の前で演じていたな。もちろん、合唱と言っても子ども一人一人が大きな声で歌うだけでハーモニーといったものはないが、でも一所懸命なので、見ている方も思わず引き込まれてしまった。」
 吾輩は、クリスマス会は日本の年中行事の一つとして完全に定着したんだなと感じた。もともとは、これはキリスト教という宗教の行事だった。日本人の多くは意識すると否かにかかわらず仏教を家のあるいは自分の宗教としている。もっとも、結婚は神式で、葬儀は仏式で、日常の行動は儒教に則してという人が大半だと聞く。こんな国は珍しのでは無かろうか。キリスト教を信じる人が、結婚はキリスト教式で、葬式はイスラム式に、日頃の行動はヒンズーでなんて考えられないことだ。と男あるじを仰ぐと、
「それはそうだ。同意見だな、ここに日本人の考え方の柔軟性がある。古事記や日本書紀に書かれているように、もともと天照大神をはじめとして八百万の神を信仰し、国家も神道に依拠していた日本が、百済から洗練された宗教である仏教がもたらされると、蘇我と物部の勢力争いがあったものの仏教国に変じたのは歴史的な事実だ。それでも、神は捨てられたのではなく、日本の八百万の神々は様々な仏が化身して日本の地に現れたと唱えられ(本地垂迹)、神道が守られた。仏教が日本の国家宗教になると、中国や朝鮮から仏教文化、寺院建築技術、仏像塑造技術などが伝わり、日本人もそれらを積極的に受け入れた。戦国時代の鉄砲、幕末の西洋文化と技術もその優秀なことを理解すると進んで受け入れていった」と答えた。
 なるほど、吾輩が居候する国は世界でも不思議な国なんだと感じ入った。良くいえば、進取の気性に富むということとなり、悪く言えば、無節操と言うことになろう。その心底には、どの文明に属するものでも、それらが自分たちの生活を豊かにするものならば、受容していこうということらしい。平安時代にも唐の諸制度が移入されたが、しかし科挙制度と宦官制度は受け入れなかったことにも現れている。もっとも、明治期、列強に伍して帝国覇権主義を取り入れたが、これは大失敗だった。いまでもアメリカの真似をして国家安全保障会議とか特定秘密保護法とかを取り入れようとしているが、くわばらくわばらだ。

「湯豆腐や ここにこうして 古希迎う」 敬鬼