徒然随想

      夏の甲子園

 甲子園で開催される全国高等学校野球大会は、いまや、国民的な夏の行事となっているな、とわが輩は思わずにはいられない。なにせ、この家の男あるじは、この時期、朝からテレビの前から離れなくなるのでわかる。いったい、何が男あるじを引きつけるのか、わが輩にはわからん。テレビで大きな歓声が起きたようだ。試合が終了したのだろう。と思うまもなく、男あるじが出てきて、逆転さようならだと興奮している。
「おまえは、たかが野球になんで大騒ぎをするのだと思っているだろう。それは、ひとつひとつの試合にドラマがあるからだ。この甲子園での全国大会ばかりではなく、地方大会もしかりだ。ドラマが生まれるのは、高校生の野球生活の総決算の大会で、3年生にとっては負ければ、後がないことにある。今年は全部で4014校が参加し、地方大会を勝ち抜いた49校が甲子園に出場できる。まさに、日本中を沸き返らせる一大イベントなんだぞ。そして、優勝する1校を除いて、すべて負けてしまう。栄冠に輝くのはたった1校なのだ。勝ち負けがはっきりするここに、ドラマが生まれる。高校生たちは、一球一打に全精力を傾け、ゲームセットの声があるまで決して諦めない。加賀大介作詞の大会歌は、まさにこのような熱闘を適確に表現しているな」と男あるじは述べ、だみ声を張り上げて、『雲は湧き 光溢れて 天高く 純白の球 今日ぞ飛ぶ 若人よ いざ まなじりは 歓呼にこたえ いさぎよし 微笑む希望 ああ栄冠は君に輝く』と歌い出した。
  わが輩も、こんな調子はずれのだみ声でも、確かに、身体が跳ね、心が躍るような良いメロディだと感じた。男あるじは続けて、
「日本中がこうも沸き返るのは、甲子園出場校は郷土を代表するというしくみになっているせいでもある。みな、郷土の代表が勝ち進んでくれることを願っているだろう。だから、地元代表のチームを応援するのが人情だ。選手達も背後には郷土の声援があり、それに応えたいと頑張る。とくに、沖縄、北海道、東北など郷土愛の強いところは、野球環境に恵まれた都会のチームに負けないで欲しいと願う。まあ、都会に対する自分のコンプレックスを反映していなくもないな。田舎のチームが、プロが注目するような選手のいる都会のチームをやっつけたら痛快だからな」 
 わが輩は、おやおや、男あるじの高校野球への肩入れは、純粋に野球に取り組む高校生の健闘によるのではなく、田舎での自分のコンプレックスの裏返しによるのかとちょっと興ざめした。
  それでも、深紅の大優勝旗が沖縄と北海道に渡った大会では、全国のファンがお祝いをしたようだ。きっと、日本国民としての一体感が、この大会を通して醸成されるのだろう。今年は東日本大震災が起きたので白河の関を深紅の大優勝旗が越えれば良いなともっている人も多いのではないかな。青森代表校にチャンスはあるかもしれないな。
「この大会は1924年(大正13年)に第1回大会が開催され、太平洋戦争の5年間を除いて通算93回となる。この間、その時代で多くの名選手、名監督、名試合が生まれ、そして記録や記憶に刻まれたのだよ。このようなスポーツを通して、国民が一体感を感じる大会は、日本独特のものだそうだ。野球ばかりではなく、サッカーも高校の全国大会があるし、バスケット、バレーなどにもある。それでも甲子園の大会は別格だな。馬齢を重ねたので、あと何回、甲子園の高校野球を楽しめるかはわからないが、その年の大会を心に刻みつけてゆきたいものだ」と男あるじは最後はなにかしらしんみりと結んだ。

「夏高く甲子園から白熱す」 敬鬼