6月も後2日を残すばかりとなった。ということは今年も半年が過ぎ去ろうとしている。2ヶ月で一枚のカレンダーも後6枚か。月日は無慈悲にも過ぎ去っていく。そのせいか吾輩の足腰もめっきりと弱くなり、男あるじや女あるじの散歩につきあうのもおっくになってきた。なにせ、心臓がばくばくし、立っていられなくなって座り込みたくなる。歳のせいもあり、また暑さのせいもあるのだろう。散歩には行きたいがあのしんどさを思うと二の足を踏む。 「なになに、散歩がしんどいってか。何を気弱なことをいっているのか。長生きをしたければ歩かなければならないのだぞ。歩けば身体の新陳代謝も良くなり、脳も活性化する」と男あるじが吾輩のリードを散歩用に付け替えながらしゃべり出した。吾輩もそんなことは承知の上のことだ。でも、散歩の途中でへたりこみたくなるから仕方がない。でも、女あるじも出てきたことだし出かけることとするか。女あるじは、
「ゆっくりと歩こうね。夕方の風は涼しくて気持ちが良いよ。緑地帯の方に今日は行ってみよう。大きな夾竹桃の植え込みが日陰を作っていて気持ちが良いよ」と吾輩と男あるじに向かって話した。男あるじも涼しいところが良いので、歩いて5分ほどの緑地帯に向かって歩き出した。男あるじは、
「そういえば、夾竹桃という樹木には毒があると言うことだぞ。なんでも、オレアンドリンという毒で、殺人や自殺に使われる青酸カリよりも強いそうだ。桃の花に似ている花にも、葉、枝、幹、そしてその土壌にも含まれていると言うから驚きだ。夏中咲き続けるあの赤い花が毒を盛っているのだ」と話し出した。吾輩は、ちょうど大きな夾竹桃の根元に良い匂いのするところを見つけて舐めだしたので、あわててつばを吐き出した。男あるじは、
「これも聞いた話だが、枝を箸代わりに利用し、中毒した例があるし、夾竹桃の枝を串焼きの串に利用して死者が出た例があるという。この毒に当たると、嘔吐、下痢、腹痛、脱力感が起きる。なんと、牛もこの毒に当たると死ぬこともある。1980年、千葉県の農場で牛に与える飼料の中にキョウチクトウの葉が混入する事故があり、この飼料を食べた乳牛20頭が中毒をおこし、そのうちの9頭が死亡したという」となぜか楽しそうに話した。
 吾輩は、夾竹桃にそのような恐ろしい毒があることなんかついぞ知らなかったので、びっくりして男あるじの顔をみた。どうやら、男あるじもつい最近まで知らなかったらしい。テニスを一緒にプレーする元看護師さんから聞かされたとのことだった。夾竹桃の枝は細く柔らかいので、毒があることを知らなければキャンプなどで手折って箸に代用しそうだ。男あるじは、「確かに毒がある樹木だが、生命力も強い。原子爆弾が落とされたあの広島で最初に咲いた花が夾竹桃だったというのはよく知られたことだ。灰燼となった公園で夾竹桃が咲いたなんて明日への復活をきっと信じさせたことだろう。因みに広島の市の花は夾竹桃だという」と話を結んだ。
 吾輩は、原爆がどのような惨禍をもたらすものかは知らない。ひとつの町や市が一発の爆弾で灰燼に帰すなんて想像もできない。でも、そんな中でこの花が真っ先に咲いたなんてまるで奇跡だ。でも、夾竹桃の根っこや茎を舐めるのは金輪際止めにしよう。

「白い雲深紅の花と夾竹桃」敬具

- 夾竹桃

徒然随想