徒然随想

-孫に思う

 孫が2歳の誕生日を迎えたそうだ。男あるじも女あるじも帰国した孫の顔を見て相好を崩している。やれやれ、この孫がやってくるとわが輩は片隅に追いやられ、静かにしていることを強いられるので、素直には歓迎できない。孫のヤツもわが輩を見ると、興味は示すものの、怖そうにしていて近寄りもしない。わが輩も面白くないので、ひと声吠えて脅かしてやったら、「えーん、ママ、ママ」とママにしがみついた。わが輩もすこしは鬱憤をはらすことができた。  間が悪いことには男あるじも、庭に出てきて、わが輩の頭をごつんと叩いた。どうやらわが輩の下心が見透かされたらしい。
「何と言うことをするのだ。わが家の大事な三代目だぞ。イヌ嫌いになったらどうするつもりだ。幼児期の原体験がトラウマとなり、成長してからも悪影響が出るのだぞ」とすごい剣幕で怒り出したので、わが輩は恐れ入りやしたと縁の下の、しかも男あるじからは遠い所に避難した。いつもわが輩の肩を持つ女あるじも、
「クウちゃん、小さな子はなんでも本気にするから、脅かしちゃダメだよ。お座りして尻尾を振って、怖がらせないようにしてね」とこれも真剣なまなざしでわが輩を諭した。
 それにしても、爺婆が孫を思う気持ちにはわが輩も恐れ入る。自分の子が可愛いというのは文句なく理解できる。でも、孫というのは子どもの子どもだから、爺婆から見ると血縁は遠くなっているのにも関わらず、どうして可愛く思うのだろうか。わが輩には超不思議な現象だ。そんなわが輩の思いを敏感に察した女あるじは、
「クウちゃん、そんなに僻まないでね。クウちゃんも大事な家族に一員だからね。でも、てっちゃんは格別な存在なのだよ。なにせ、この家の三代目だからね。それに日増しに子どもらしく成長し、愛嬌を振りまくでしょ。いまは、この世は楽しい所、怖い物は無いところと実感させることが大切なんだからね」と説教した。
  わが輩は、お説ごもっとも、脅かしたのは悪うございましたとばかり「フィーンフィーン」と鼻を鳴らした。男あるじは、
「それにしてもどうして孫と言うだけで可愛いのかな分かるか」とばかり自問自答しだした。わが輩は沈黙していると、男あるじは、
「幼な子はどの子も可愛く感じる。これは、小さくて丸い物を可愛く感じるという人間の持って生まれた感じ方だ。猿なんかもそうらしいぞ。動物の子も小さいときはすべて丸い形をしているだろう。そういう物には攻撃を加えずらいのだ。何の話だっけ、そうそう、それに加えて自分の孫となると、血を受け継いだ存在として人間は認知する。自分の分身というわけだ。爺婆の老い先が短いことを自覚し、何か形あるものをこの世に残したいと思う。自分が祖先から受け継いだ血統を、さらに受け継ぐ存在が生まれれば、これに勝るものはないと感じる。このような思いは、人間が生物として存在し、個々の生命に限り、しかも人類の継承を望み、そのなかでも自分の血統の存続を願うのは自然な思いなのだろう。自分の分身として暗々裏に孫という存在を受けとめるので、孫をかけがえのない存在として認知し、感情面では愛しい存在として感じる」とつぶやいた。
  わが輩には子はいないし、ましては三代目なぞ思いの外の存在だから、血の継承などと言われても実感がわかないが、わが輩も生物の一員なので、イヌ族の継承は大事なことだと思う。なにせ、わが輩のDNAでも数十万年、いや生命の誕生から数えると数十億年も要して形成されたのだから、継承する義務があろうというものだ。きっと、男あるじも女あるじも、自分たちの亡き後も自分のDNAの継承者が永久に存続することを願っているのに違いない。孫の可愛さの源泉はこんなところにあるのだろうか。

「彼岸花 わが分身が 駆け回る」 敬鬼