わが輩にとっては面白くないことが最近起きている。というのも、強力なライバルが出現したからだ。今日も今日とて、わが輩は家の中から閉め出され、庭の一隅に追いやられた。というのも、この家のただ独りの孫がお越しになるからだ。男あるじも朝から丁寧に掃除機をかけている。わが輩が落とした毛を這い這いする孫が拾って口の中に入れないためだそうだ。女あるじも、そわそわとしてキッチンで落ち着かないようだ。この家の唯一の愛玩対象であるわが輩も、これじゃ形無しだ。そうか、わが輩はただの代償に過ぎないのか。こんな風に僻んでいると、それを察した女あるじがわが輩の好物の動物ビスケットをもって庭の一隅にやってきて、
「クウちゃん、今日は我慢をしてね。クウちゃんをないがしろにしているわけではないのよ。もし万が一、クウちゃんが孫をライバルと勘違いして、引っ掻いたり噛みついたりしたらと心配してのことだからね。クウちゃんは、そんな野蛮なことはしないと信じているけれども、まあ、これは予防的措置だわね」とぬかしおった。
  わが輩は、「わかっていますって。お孫さんには理性的に応対しますが、わたしもイヌだから、いつ野生にもどって悪さをしないとは断言できませんから」と眼と鼻で答えた。そこへ、ライバルご到着だ。男あるじも女あるじも、わが輩には見せたこともないような満面の笑みを浮かべて、
「てっちゃん、よくきたね。待っていたよ。さあ、GGに抱っこだよ」と孫にかけよっていった。爺爺とよばせるのはいかにも年寄り臭いので、男あるじはGGと呼ばせたがっている。もっとも、まだ生後1年で言葉を発しないので、いまのところ、てっちゃんは「あーうー」というばかりのようだ。
  それにしても、人間の赤ん坊は得な点を備えている。というのも、大人どもをたぶらかすために、いやいやたぶらかすなんて勘ぐった言い方はよくないな、そうそう、大人にかわいがられるために、顔の筋肉を上手に使って『笑う』という離れ業をしてみせることだ。わが輩達イヌも、自分の喜びつまり快的状態を表わすためにしっぽを左右にふって合図する。しかし、この尾っぽを振るという仕方より顔による笑みの仕方の方が、なんといっても、相手をたぶらかすのに効果的だとわが輩も思わざるを得ない。
  孫を抱っこしてわが輩の元にやってきた男あるじは、わが輩の思いを察したようで、「人間の笑いは人間に固有なものだ。チンパンジーの子どもは互いにふざけ合っているときに声を出し口を開ける行動を示すことがあるようだが、人間の笑いとは基本的に異なるらしい。というのも、人間の赤ちゃんの微笑みは、他からの刺激がなくても自然発生的に生じ、また誰かから教えられなくても本能として生じるのだからだ。人間の笑いは、その内部の快という感情状態を反映し外部出現したもので、手を振るのでもなく足を上げるのでもなく、顔の造作を変えて表出することに意味がある」と孫をだっこしあやしながら講釈をたれた。  わが輩は、幼気な子を驚かすことの無いように神妙にお説を拝聴した。わが輩は、人間の笑いは、たしかに内部の嬉しいという感情状態を反映しているのだろうが、それよりも私はあなたに敵意や攻撃心はありませんという信号行動ではないかと疑っている。つまり、幼くて力のないてっちゃんは自分を可愛く思い、常に関心を持ち、そして保護してもらうために、満面の微笑で相手をたぶらかす、いやいや魅きつけているのではないだろうか。わが輩イヌたちには、しっぽを振れば、それは敵意をもたないという信号だという暗黙の了解があるから、恐ろしげな大きなイヌがやってきたときには精一杯しっぽを振るのだ。やれやれ、人間関係、いやイヌ関係を良好に保ち被害を受けないようにするのにはいっぱしの工夫がいるな。もっとも、てっちゃんの笑顔をみていると、そんな大それた戦略をもって笑っているようには思えないほど無邪気なことはわが輩も認めるのにやぶさかではない。

「孫の笑み こぼれるばかり 両手出し」 敬鬼

徒然随想

-孫の笑顔