徒然随想

孫の誕生に思う

 せかせかと男あるじが午睡を楽しんでいる吾輩のところへやってきて、「生まれたぞ。女の子だ。2900グラムあるそうだ」と叫んだ。吾輩がぽかんとしていると、
「長男の二人めの子になる。先に生まれたのは男の子だったので、女の子でちょうどよい。まあなんにせよ、家族が増えるのは嬉しいものだな。この歳になるとただの家族ではなく、血脈を伝える子孫になるので、いっそう心強い。もっとも、いまから大きくなっていくのだから、とても成人するまでは見届けないだろうがな。」と嬉しくもあり残念そうでもあるのか小さくつぶやいた。
 そこへ、女あるじもやってきて、
「めでたいわね。うれしうれしだわ。高齢出産になるので半分諦めていたのだけれどもなんにしてもうれしいわ。母子ともに元気だというから安心したわ。もっとも遠隔地での出産なのですぐに会いに行けないのが残念。この子が大きくなるまで健康で長生きしなくてはね。お父さん」と男あるじに話しかけた。
 「そういうことだな。せめて大学に上がるくらいまでは生きていて見届けたいものだ」と答えた。 吾輩は自分の子も成さなかったので、孫の誕生がどの程度嬉しいものかわからない。きっと、自分の血を引くものが自分の後にもこの世にあることに感動しているのだろう。子や孫がいれば、その者たちがまた子や孫をなすだろうから自分の血脈が次々と受け継がれていくことになる。自分の肉体は滅んでも、子孫の中に自分の魂のようなものが継承されていくことで永遠を手にできると考えるのだろうか。
 男あるじは、
「子どもが男女一人ずつ、孫も男女一人ずつ、幸いに子どもは一人前、いや世間の基準で言えば一人前以上に育ったので満足している。次は孫の番だな。いまのところは順調に育っているので、どのような人間になるか期待したいものだ」と女あるじに話しかけた。女あるじは、
「ほんとにほんとにそうだわね。わたしたち爺と婆がしてやれることは教育のための資金を残してやることくらいかしらね。同居することは考えられないので、直接、生きる知恵を授けることはできないし、これは親の役割だからね」と続けた。
 「そういえば、我が子が生まれたときにおやじやおふくろは大変喜んだことを思い出した。まあ、初孫ということもあったが、今から思うと自分の血を引くものがもう一世代誕生したことを喜んだのだと思う。おやじは当時60歳前半だった。おやじは養子だったので自分の家を継ぐ者というよりは自分の血を引く者が生まれたことに感じ入ったのだろう。孫をもつ身になってみると、その当時の親父の感慨は良く理解できる。孫がただかわいいというのとは違う感慨だったのだ。もちろん、かわいいし眼に入れても痛くはないという気持ちとは別に、おやじの系統が続いていくことに感動したと思う。」と男あるじは四十数年前の我が子の誕生のときの父親の印象をなつかしく思い出しているふうだった。
 吾輩は、その当時のことは知らないし、多分このようなことは理解できない。イヌという系統が続くのはもちろん望むことだが、吾輩の血脈が続くのはあまり関心がない。野生の動物は自分の子孫を残すべく、メスの取り合いに命をかけると聞いている。でも吾輩にはそんな感情は消えてしまったようだ。人間に寄生して生きるようになったために、そのような野蛮な欲望は去勢されたのだろう。これは生物学的にいって進歩なのだろうか。

「秋晴れや血を継ぐ孫の初乳飲む」 敬具