今朝は花曇りだ。でも気温は上がりそうな気配がする。というのも湿気があるのだろうか、けだるい感がある。こんな日は、たっぷりと朝寝をすることにしているわが輩は、さっそく、散歩の後にわが庵である縁の下にもぐり込んでうとうとしていたら、お邪魔虫が出かけてきた。そして、
「さあ、マニラ旅行の続きだ」と宣言した。わが輩は、知らぬ顔を半兵衛を決め込んだが、首輪をぐいと引っ張られて、庵から出されてしまった。なにをするかとばかり、一声吠えてやったが、これは逆効果で、ますます強くリードをひかれたので無駄な抵抗を止め、おとなしくお座りをした。男あるじは、
「ボラカイというところを知っているか。そうか、知らないか。無理もないな、私もはじめて行ったところだからな。ここはフィリッピン、いや世界でも有数のリゾート地だ。ボラカイ島(Boracay)はフィリピン中部、シブヤン海に浮かぶ離れ小島で、マニラからは南へ200km、ヴィサヤ諸島の西端にある大きな島パナイ島の最北端から2km沖にあるのだ。骨か鉄アレイのような形をした長細い小島で島の長さは7.5km、幅は最も狭い場所で2kmしかないそうだ。ここには珊瑚からできた4kmも続く白砂の砂浜と透明な海があり、リゾート地として人を惹きつけるという。マニラからは飛行機便がある。パナイ島には、飛行場が2つ、カティクラン空港とカリボ国際空港がある。ボラカイには前者の空港が至便だが、今回は後者の空港行きに搭乗した。フライト時間は約40分、それでも200人乗りのエアバスが満杯だった。出発が1時間程度遅延し、空港に到着したのは午後5時だった。ここからは宿泊するシャングリラホテルの迎えの車でボラカイに向かった。ちょうど、仕事が終わった時刻で帰宅する島民で道路は賑わっていた」と語り、一息ついた。  わが輩も、お座りして聞いていたが、長いのでおもわずため息を漏らした。こんなとき、男あるじはわが態度を叱責するのが常だ。これも、きっと大学で気の乗らない学生に対してとっていた教師態度が無意識に現れてしまうのだろう。わが輩も、そんなことは百も承知だから、重々留意していたのだが、気乗りしないので思わず漏らしてしまったのだ。案の定、わが輩は男あるじにしこたまリードでこづき回され往生する羽目になった。 「フィリッピンでの庶民の足は、まずバイク、次に自転車だ。乗り合いバスもある。これははでに塗装された中型のバスで、ジープニーと呼ばれ、決められてルートを巡回するし、バス停もある。さらに、トライシクルがある。これは100cc程度の小型オートバイにサイドカーを取り付けた三輪タクシーとでもいうもので、屋根付きもある。これが5~6人程度のお客さんを乗せて走っている。乗車料金は日本円で100円くらいだから、まさに庶民の足といってよい。われわれの乗用車は、それらのジープニーや多くのトライシクルを縫うように追い越し、舗装道路をボラカイに向かった。町中では道路の両側には住宅や店、そして小学校があるし、郊外には麦畑が広がり、収穫を終えた畑では牛がのんびりと草や落ち穂を食んでいて、のどかな農村の光景だった。道路際には電線が張ってあり、椰子の葉で葺いた民家には裸電球に明かりがともされていた。そうだな、日本で言えば、昭和20年代、汽車で通る沿線の茅葺きや藁葺きの農家にぽつんぽつんと暗い電灯がともっていて、こんな感じだったなと私は懐かしく思い出しながら車外の移り行く景色を眺めた。こんな道を走ること1時間半、ようやくボラカイ島にわたるホテル専用の波止場に着いた。夕陽も落ち、あたりは暗くなっていた」と話し終えた。
  どうやら、本日の旅行談はここまでらしい。わが輩は、極めて狭い範囲で暮らしている。子規の病状六尺ではないが、まあ、それに近いものだ。庭ではリードの届く範囲はせいぜい2mくらいだ。だから、男あるじや女あるじのように、広い世界を見てみたい思いは強い。「井の中の蛙、大海を知らず」ではわが輩としては面白くない。そこで「されど空の青さを知れり」と強がってみるが、これもしょせん犬の遠吠えと行ったところか。もっとも前者は荘子にあるれっきとしたことわざだが、後者は誰がつけたしたのか知らん。わが輩と同じ境遇にある人の「ごまめの歯ぎしり」、あるいは「蟷螂の斧」か。やれやれ、自己否定はこのくらいにしておこう。

「ボラカイの 春の海辺で 命伸び」 敬鬼

徒然随想

-マニラ紀行 3