今朝もよく晴れて、4月上旬としては陽射しが暑いくらいだ。ここから見る公園の桜もとっくに葉桜となっている。明日は大荒れの天気が予報されているので、今日で今年の桜も見納めだろう。わが輩は、本来、花よりだんご、いや匂い派なのだが、桜にはいくぶんかは感傷的になるから不思議だ。これも、日本に生きるイヌ族に人間のように本能的に組み込まれたセンチメンタル・スタイルによるものかもしれない。日本人は、本居宣長の「敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花」や、西行の「願わくば 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃」に共感する人々なのだから、その心はわが輩達ヤマトのイヌ族にも伝染しているようだ。とりとめもなく、こんなことを思っていると、午後も遅くに男あるじが散歩のために庭に出てきた。そして、「さて、マニラ紀行はどこまで話したかな。そうそう、ボラカイ島に着いたところまでだったな。ここではシャングリラリゾートホテルに泊まった。シャングリラというのは、イギリスの小説家ジェームズ・ヒルトンの小説『失われた地平線』に出てくる理想郷から借用したものだ。ヒルトンは、『チップス先生さようなら』を書きベストセラーにもなったし、脚本家としてアカデミー賞を受賞したこともある。理想郷というだけあって、ここでは島の傾斜を利用してヴィラが何棟も建てられているし、ホテルの部屋も低層の建物を横に広く建て、建物を景観のなかに埋め込んだ作りになっていた。ホテルの部屋も広く、ゆったりと過ごせるような配慮があり、従業員も出会うと必ず挨拶をしてくれた。もっとも、居住性とサービスが良いだけあって、宿泊料もそれなりの金額だった」と話し始めた。  わが輩は、これで4日目だなとうんざりしたが、これを拝聴しないといつまでたっても散歩に行けないので、行儀よくお座りをして首を垂れて聞く態をした。
「さて、このホテルにはナイトクラブとかカジノとか温泉とか、つまり享楽する施設は何もない。その代わりに、ゆったりと過ごせる空間と時間とが用意されている。だから、ほとんど、いや全員が家族連れかあるいは恋人連れのように見受けられた。私たち夫婦と長男家族も、プールで寛いだり、ランチの後の午睡を楽しんだり、読書をしたり、はたまた浜辺に出て夕陽をぼんやりと眺めたりして一日を過ごすことになった」と話したので、わが輩はちゃちゃをいれたくなった。
「それではいかにも退屈でしょう。つまり、昼寝や読書なら家でもできるのに、どうしてボラカイ島まではるばる出かけていくのは、金も時間も無駄ではないですか」と眼と尻尾で尋ねると、男あるじは、
「ふーむ、一理あるな。せっかく高級ホテルに泊まったので、コンパニオンさんでも呼んでどんちゃん騒ぎでもするのが、これまでの日本人の温泉での過ごし方だったな。でも、ここでは余暇の過ごし方のポリシーが異なっている。つまりだ、余暇には、『心身を休めるために使いたい』とか、『自分の好きなことに熱中・集中し、リフレッシュしたい』とか、はたまた、『家族や友人などとのコミュニケーションを楽しみたい』といった過ごし方があるが、ここのリゾートでは、心身を休め、家族との団らんを楽しむために設計されている。おまえのいうように、そんなことは家でもできることではないかと思われるが、しかし紺碧の海、どこまでの蒼い空、そして亜熱帯雨林のかもしだす景観のなかでの休息はまた格別な憩いとなるわけだな」と話を終え、わが輩のリードを掴んだ。
  わが輩としては、いまひとつ納得はできなかったが、とにかく行ったことのないところで贅沢な余暇を味わってみたかったのだろうとかってに邪推した。

「椰子の木や ホワイトビーチで 孫を抱き」 敬鬼

徒然随想

-マニラ紀行 4