今朝は、昨日とは一転して春の嵐になるようだ。メイストームといえばロマンチックの響きがあるが、爆弾低気圧と言えば恐ろしさが先立つ。わが輩は、この季節、家の中より外の方が気持ちよいので、なるべく外にいたいのだが今日はそうもいくまい。そろそろ男あるじが退屈して出てきそうなのだが、こんな日に限って出てくるのが遅い。家の中をみると、なんと男あるじが掃除機を抱えてうろうろしている。女あるじにでも言いつけられて掃除をはじめたのだが、掃除の要領が悪いのであちこちと無駄に動き回っているらしい。わが輩は口先だけでからきし役には立たないのが男あるじだなと、一抹気の毒になった。これも無理からぬことだ。教育と研究に没頭している態ではあるが、その実、机に向かうだけで鼻毛を抜いたり、爪を切ったり、はたまた好物のチョコを口に入れたりし、その合間に調べものをしているだけだから、これもなんとも効率が悪い。男あるじは、売れない安っぽい小説を書く三文文士のような学者なのでこんなものだろう。自分ではいっぱしその道の権威を気取っている。自分では、これこそ男あるじの唯一のよって立つ基盤と信じているようだ。
  こんなことを、男あるじの掃除をみながら妄想していると、長い時間が経ったようで、ようやく解放された男あるじが庭に出てきて、
「ふう~やれやれ肉体労働は疲れるな。お掃除ロボットが早く開発されるとよいな」と気楽なことをほざきだした。そして、
「さて、マニラの土産話は五日目になるな。われわれが泊まったボラカイ島はヴィサヤ諸島の西の端にあるパナイ島のすぐ沖合にある。ヴィサヤ諸島にはパナイ島の他に、パラワン島、ネグロス島、セブ島、ボホール島、レイテ島、サマール島がある。セブ島はマニラ首都圏につぐ大きな州で人口は330万人、メトロマニラのようにメトロセブと称される。ヴィサヤ諸島はルソン島とミンドロ島の中間にあり、フィリッピンを構成する3つの大きな諸島群のひとつなのだ」とフィリッピンの地理を講義しだした。
  わが輩は、「おやおや、地理のお勉強ですか。旅行談はどうなったのですか」と眼できくと、男あるじは、
「うんうん、そうだったな。土産話も大事だが、その前に、ここにはレイテ島があるだろう。レイテ島とレイテ湾いえば太平洋戦争での激戦地だ。ダグラス・マッカーサー率いるアメリカ軍部隊は19441020日レイテ湾に上陸、ここからフィリピン奪回をはかった。レイテ沖海戦も19441023日から同25日にかけてこの周辺海域で発生した、日本海軍は戦艦大和を入れて総力を挙げて決戦を挑んだが、大敗北をきっし、事実上壊滅した。この海戦で日本側ははじめて神風特別攻撃隊による攻撃を行なわれた。日本軍は海軍の壊滅のために物資補給・兵員補給の輸送船が途中で沈められ、補給を断たれた8万人以上の兵士が戦死や病死・餓死でほぼ全滅した。この戦闘での悲惨さは大岡昇平がレイテ戦記、俘虜記、野火に描かれている。人肉さえ食する状況だったという」と語った。  わが輩は、ここフィリッピンでこのような凄惨な闘いが日米の間で約70年前に起きていたのにはびっくりした。ボラカイでののんびりした男あるじの休暇の話とはまったく違っていて、70年前の戦争と現在の平和の落差に呆然とするばかりであった。男あるじは、「いまは平和で穏やかな海で、泳いだりスキューバダイビングをしたり、フィッシュングしたりして楽しめるが、ここでは8万人を越える日本人が戦闘に倒れ、また餓死したり病死したりした。現在、日本人に人気のリゾート地のグアム島も、かつては日米での激戦地だったが、いまは戦跡しか残されていない。今日の日本の繁栄は、ここで戦死した日本の若者の上に成立していると戦前生まれの私にはどうしても触れておかなければならないことなのだ」と結んだ。

「ココナッツ 飲めばはるかに 国おもう」敬鬼

徒然随想

-マニラ紀行 5