昼、気持ちの良い風を受けてうとうとしていると、家の中が急に騒がしくなった。何ごとかと、縁の下のわが庵を出て窓越しに中をうかがうと、わが天敵ともいえるこの家の孫が遊びに来ていた。どうりで賑やかなことだ。それとなく孫の行動を観察していると、歩き方もしゃべり方も正月に来たときに較べるとしっかりしてきていた。指折り数えてみると2歳半になる。人間の子も発達するのは早いようだ。もっとも吾が犬にはとうてい及ばない。というのも、われわれの6年が人間の1年に相当するからだ。
 男あるじも、女あるじも久々の孫を迎えてはしゃいでいるようにみえる。男あるじの年齢ならば孫は10歳くらいになっていてしかるべきなのに、子どもが晩婚とあっては諾なるかなである。男あるじは、開けた窓から吾輩を孫にみせながら、
「ワンワンのクウちゃんだよ」としきりに吾輩を指し示している。孫も吾輩の方を見て、「ワンワン、ワンワン」と叫んだ。吾輩を覚えているらしい。男あるじは、孫を抱きかかえながら吾輩に話しかけて、
「吾が家の大事な3代目だぞ。この子にはちょっかいを出すなよ。怖がらせないように」とかなんとか言っているようだ。
 吾輩には子どもをつくる機会が与えられなかったのは、大変悔やまれる。先代は迷い込んだメス犬と交尾したと聞くから、ひょっとすると子をなしたかも知れない。われわれはつがいとならないので、たとえメス犬が子を産んでも自分の子かどうかわからないのが残念だ。もっとも、これがおまえさんの子だよといわれても戸惑ってしまうに違いない。男あるじも、吾が思いを察し、
「おまえにはわたしの孫に対するこんな気持ちはわからないだろうな。生きられる時間は限られているのでわが分身を後に残そうという気持ちは年を取るにつれて強くなる。もちろん、孫は分身であって私自身ではないが、それでも血を分けたものが存在し続けるということは有り難いことだ。私を基点として孫で3代、曽孫で4代となる。曽孫をこの世でみることはかなわないが、しかし絶えることなく代が交替していくことを望むのは本心だ」と神妙につぶやいた。
 このとき吾輩は、先代がどんな犬か、そのまた先代が・・・と辿ることに意味はあるのだろうかと疑問に感じた。吾輩がここに存在すると言うことは面々と継承されてきたイヌの遺伝子を、どのイヌのものかはわからないが、継承していることだ。このことがつまりイヌの命を継承していることが、尊いのではないだろうか。またも男あるじは、わが思いを察して、
「それも一理ある考え方だ。多分、それが命を継承する基本なのだろう。ご先祖様がどんな人かは、社会的、歴史的には意味があるかも知れないが、本人には関係ないことだ。もし、ご先祖様がどういう人かで社会的価値が変われば、それは貴賤によって人を社会的に位置づけることになり、大問題だろう。もっとも、我が国には天皇家というのがあり、唯一、貴の家系とみなされている。でもこれは例外だ」とつぶやいた。
 吾輩は、イヌにも純血種があり、それは高値で売買されると聞いたことがある。吾輩はいくつかの系統が混じり合った混血種だが、そのことで引け目を感じたことはないぞ。きっと、この家のあるじたちもいろいろ混じり合った家系なのだろう。人の世もイヌの世もこれが正常で健常なのだ。

「柏餅孫手を伸ばす笑顔かな」 敬鬼

徒然随想

- 2歳半