湿気があり気温が上がってきたせいか空に靄がかかる日が多くなった。それでも吾が庵にさす陽射しは気持ちよく、日向ぼっこをしているといつしか微睡んでしまう。吾輩も年をとったせいかまどろみの中で夢を見るのだが、目覚めてしまうと何の夢だったかとんと覚えていない。あのかわいいメグちゃんと戯れていたような気がするが、それも確かではなく歯がゆいばかりだ。もっとも、人間の年で言えば齢い80を超えたのにいまだ異性への思いは枯れないのには我ながら驚いている。近所に住んでいた爺さん犬が、よぼよぼになりながら雌犬の後を嗅ぎ回り追いかけていたのを、若かった頃の吾輩は笑っていたが、あれは老犬の哀れな姿なのではなく年取っても枯れない性のほとばしりだったのだと悟った。
 しばらくこんなことを黙想していたら、男あるじと女あるじが庭に出てきて、女あるじが、「クウちゃん、顔がいくぶん紅潮しているわね。何かいいことがあったの」と話しかけてきた。吾輩は、まさか雌犬に懸想している白昼夢を見ていましたと言えないので、ワンワンフィーンと尻尾を振りながら愛想を振りまいてごまかした。これを見ていた男あるじも、
「暖かくなってくると、春の珍事が起きるものだぞ。犬も人間も身体内部のホルモン活動が活発になるせいだろうな。これは年齢にかかわりなく、訪れる変化だな」とにやけながらつぶやいた。女あるじは、
「まあ嫌らしいたらありゃしないわね。クウちゃんに限って懸想するなんて、もうあり得ないでしょう」と応じたので吾輩は腰を抜かした。
「なにをおっしゃりますか。吾輩だってまだ現役でっせ。行動の自由がないので恋の相手にアタックできないのが無念なだけです」と大声で叫びたくなったが、これもはしたないのでただ小さくフィーンフィーンとつぶやくのにとどめた。
「『これよりは恋や事業や水温む』と詠んだのは高浜虚子だ。寒いと身体も強ばり縮こまってしまうが、水温む頃になると身体内部も温もって活動エネルギーに満ちてくる。外に出れば何か良いことに出会いそうな気がする。そうだ、旅行に出て良い出会いから恋をしよう、あるいは新しい仕事を始めようといった気分になる」と男あるじはしゃべり始めた。 吾輩は、「なるほど、そういうことか。吾輩の思いは身体の内部のエネルギーが満たされたことによるものなのか。宜なるかな、なっとく」と首を大きく上下に振って相づちを打った。
「『水温むこれよりは恋のみに生き』と勇ましく詠んだのは稲畑廣太郎だ。恋のみに生きると決断させたものは、水が温む季節になったからだな。外界の気温は心にも大きな影響を与え、こんな心境にまでさせてしまうもののようだ。たかが気温、されど気温といっても良いな。ところで、こんな面白い句もあるぞ。『犬の舌赤く伸びたり水温む』。これも虚子の句だな。これはどういう意味かな。お前に解説してもらおうか」と男あるじ。

 吾輩は、思いがけず振られたので男あるじの顔をみて眼を白黒させながら、
「この句の真意なんぞわかりませんね。虚子先生にでも聞いて下さい」と眼で応えた。
「そうさな、どういう状況を詠んだものかな。犬が下を垂らすのは暑いときに体温を下げる行動だな。犬には汗腺がないからな。まあ、一種の空冷装置だ。それにしてもこの句の意味はなんだろうか。寒い冬もようやく終わり、ふと見ると飼い犬も長い舌を出してあえいでいる。そうか、いつのまに水温む頃となり、しかも犬さえあえぐ春を迎えているのか。まあ、春が巡ってきたことを犬と共に喜ぶエールではないかな」と結んだ。

「水温み恋のエールでネコ踊る」 敬鬼

- 水温む

徒然随想