今夏、猛暑だったせいか、今頃になって夏ばてし、わが輩は急性の大腸炎を起こしてしまった。夏の下痢は、水分が失われるせいか、けっこうつらいものだ。女あるじが心配して、わが輩をかかりつけの獣医に連れて行った。点滴をうけて水分と栄養を補給したら、ずいぶんと楽になったが、しかしそんなこんなで、ぐったりとして休んでいるわが輩の所へ、男あるじが迷惑も何のそのとばかりにやってきた。そして、
「だいぶまいっているようだな。大腸炎なんてものは、一日絶食をすれば直るものだ。獣医にかかるなんて、おおげさだ。健康保険もないから医療費は実費だぞ、ものいりだな」と聞こえよがしにつぶやいた。
  これを聞きつけた女あるじと娘あるじが、飛ぶようにやってきて、
「お父さん、どういうことをいうのですか。クウちゃんは12歳、人間で言えば78歳ですから、万が一のことがあったらどうするんですか」と抗議した。
  わが輩は、これにはちょっとびっくりした。というのも、わが輩の自覚としては、青年とはいえないが、まだ壮年だと思っているからだ。そうか、この家の女どもは、わが輩を後期高齢者だと思っているのかと、憮然とした顔をした。何を思い違いしたのか、娘あるじが、
「ほら、クウちゃんも、『わが輩の歳を考えて、もっと大事にしろ』という顔つきをしているわ。きっと、自分の年齢が自覚できているに違いないわ」と応じた。
  男あるじも、これまた憮然として、
「夏ばてなんてものは、精神が弛緩しているからなるのだ。大腸菌がちょっと増えただけで、抵抗する力がなくなり下痢をするようになる。毎朝、毎昼、毎夕、うたた寝ばかりしているので、腹を冷やしたのだろう」とわが輩を侮辱した。
  わが輩は、四肢に力が入らないので、さしたる抵抗もできず聞き流した。男あるじは、
「そうやって四肢を伸ばして横たわっている姿は、飯田蛇笏の『生き疲れただ寝る犬や夏の月』といったところだな。これは、夜に入りようやく涼しくなり、ほっとして寝入る老犬を詠んでいる。まるで、お前さんを詠んでいるような句だ。まあ、人間も犬も歳を重ねると、夏ばてばかりでなく、来し方の疲れがどっと出てくる。そんな疲れが寝姿にも顕れるようだ。子規も『世の中の重荷おろして昼寝かな』と詠んでいるが、これなども寝姿の中に一縷の安堵をみているのだろうよ。というのも、目覚めていれば、追い払っても追い払っても想念や妄念が涌いてきて、それだけで重荷となる。でも、寝入ってしまえば、別の世界に入り込むことができ、浮き世の重荷がいっとき軽くなるというものだな」とつぶやいた。  わが輩は、動くのも眼で訴えるのも面倒なので、わずかに耳を動かして聞いていることを男あるじに知らせた。わが輩のように、日々是好日をモットーに生きていても、それなりに重荷を背負って生きているような気がする。『人の一生は重荷を負って遠き道を行くが如し、いそぐべからず』と家康の遺訓にもある。もちろん、背負う重荷はそれぞれ異なるが、それを担いでどこまで続くかわからない道を歩むことには、男あるじもわが輩も変わりがない。こんなことを思うのは、夏ばてで身体が弱っているせいかな。早く回復して、健康な昼寝をむさぼりたいものだ。

「夏の果て 来し方忘れ まどろまむ」 敬鬼

徒然随想

-夏の果て