正月から寒い天候が続いている。雪こそ降らないが、お日さまは出たり入ったりで庭にいるわが輩は暖かくなったり寒くなったりと気持ちよく昼寝ができない。それとなく、テレビの気象情報を聞いていると、今年は寒気が居座っていて、北日本では大雪になっているらしい。わが同胞は、この大雪の中でいかに過ごしているのだろうか。きっと、母屋の中の囲炉裏の傍らで昼寝をしているのかしらん。わが輩よりはぬくぬくとした昼寝を楽しんでいるといいのだが。遠い同胞の境遇を思いやり、うつらうつらしていると、女あるじが洗濯物を抱えてやってきた。
「まあ、クウちゃん。日向ぼっこしているの。いいわね。もっとも、今日は風が出てきて、寒くなりそう。そうしたら、お家のなかに入りましょうね」とわが輩のおつむをから背中を撫でた。この女あるじも、脳天気なものだ。きっと、自分も日向ぼっこがしたいのだろう。もっとも、わが輩のように丸まることができないから、寒さに音を上げてしまうだろうて。
 そこへ、男あるじが声を聞きつけて、外に出てきた。そして、あと三日もすれば立春だとわが輩の顔をのぞき込んだ。そして、
「知っているか、立春は二十四節気の第1なのだぞ。二十四節気というのは、冬至から春分、春分から夏至、夏至から秋分、そして秋分から冬至の間をそれぞれ5種類の節気に分けたものをいう。例えば冬至からは小寒、大寒、立春、雨水、啓蟄、春分となる。春分からだと、清明、穀雨、立夏、小満、芒種、夏至となるのだよ。この節気の命名からも分かるように、暦にその時の季節の感じをはめたものだな。こうすれば、いまどんな季節でいつ春や夏がやってくるかがよく分かる」と講釈した。
 わが輩には、暑い、寒い、気持ち良いの3種類の節気しかない。人間という種は季節までも複雑にしているのだな。だいたい24種類も季節を感じ分けることができるのだろうか、と疑った眼差しをむけると、「なるほど、これは人間の季節感から出てきたものではないのだ。ものの本によると、月の運行に基づいた太陰暦は太陽の位置と無関係であるため、暦と四季の周期との間にずれが生じてしまう。これは農事に不便きわまりない。いつ田植えをするのか、いつ収穫するのか暦では分からなくなってしまう。そこで古代中国では、本来の季節を知る目安として、太陽の運行を元にした二十四節気が暦に導入されたのだよ。これで農事には便利な、そして人間の季節感と一致するような暦として使えるようになった」と講釈を続けた。
 ところで、この二十四節気は、現在の季節感とずれているんじゃないのだろうか。24日が立春といわれても、まさに大寒のなかにあるし、立秋といわれても88日頃では盛夏いや、最近では酷暑の真っ最中であるな。どうして、今の気候に合致するように改めないのだろうか。気象庁の怠慢か、いや伝統ある二十四節気なので、恐れ多くて手が出せないのだろうか。まあ、わが輩イヌたちにはどうでも良いことだ。ただ、穏やかな気候が続いてくれることを願うばかりだが、最近の気象は大寒波とか大雨とか激しいので困るな。

「蝋梅の薫りに気づくや春立ちぬ」 敬鬼


徒然随想

-二十四節気-