徒然随想

- お葉漬け

  今年の秋は短く、冬が間近に迫ってきた。10月半ばまで暑い日が続いたが、それ以降は木枯らしが舞うような気温の低い日々となった。夏から一足飛びに晩秋を迎えたようだ。わが輩が住むこの辺は、秋が長くて過ごしやすいのだが、今年は時々小春日和になるだけだ。暖かい秋の陽射しのなか、昼寝を楽しめる日が少ないのでわが輩には残念な秋となっている。
 今日も木枯らしのような冷たい風が東から吹いている。しかたがないので縁の下に毛布を引っ張り込んで丸くなっていると、男あるじが厚手のウィンドブレーカーを着て出てきた。そして、11月もまだ半ば過ぎだというのに、いやに寒いな。これは長野の気候だな。わたしが生まれて育った信州長野は、えびす講の頃になるとよく雪がちらついたものだ。この時期は自家製の野沢菜漬けとたくわん漬けの仕込みの季節でもあり、野沢菜を洗うように母から頼まれたことを思い出す。長野の水は夏でも冷たいので、この頃になると手が切れるように冷たかった。それでも、お正月になると、ぱりぱりとしたうまい漬け物を味わうことができのだった。北信州の寒さがあのうまい野沢菜漬けを作り出すのだな」と、遠くを見やるようになつかしそうに話し出した。
  わが輩は漬け物を食さないので、うまいのかまずいのかわからない。イヌ族は元来、肉食なので野菜の類は口にすることはない。もっとも最近のイヌの中には、レタスが好物だという御仁もいるので、長らくの家禽生活というか居候生活で食生活も変わってしまったようだ。でも、わが輩はレトルトパック入りだが、肉食中心の食を維持している。
「信州ではお葉漬けと呼ぶこの野沢菜漬けは、たくわん漬けとともに冬を越すのに欠かせない食べ物だ。その頃は物置に大人2人でようやく抱えられるような大きな樽に野沢菜漬けとたくわん漬けとを仕込んでいた。野沢菜というのは信州の野沢温泉の近辺で栽培されていた蕪の一種だそうだ。塩漬けにするのだが、漬け込んだものは緑色からしだいに飴色に変色していく。緑色の物は浅漬け、飴色になった物は本漬けと呼ばれる。どちらもうまいが、やっぱり乳酸発酵がすすんだ本漬けがうまい。気温が高くなると発酵がすすみすぎて酸っぱくなりおいしくない。やっぱり雪が降るような寒い長野での漬け物と言えるな」男あるじは昔話をつづけた。
  わが輩は、寒い長野で飼われなくて幸せだなと思った。霜が降りたり雪が降ったりしたら、昼寝なんかできやしないだろう。白い雪原を駆け回るのは楽しそうだが、それも日常となると別のこととなる。くそ暑いのも困るが、寒すぎるのも御免被りたい。漬け物には寒さが大事だが、わが輩の昼寝のためには暖かさが必要だ。
  男あるじは、さらに遠くを見やり昔を思い出すように、
「そういえば、この季節の行事はえびす講だったな。これは恵比寿様に因んだお祭りで、商店も共催して大売り出しをした。ちょうど冬に備えるために、毛布や毛糸のセーター、厚手のシャツ、オーバーコート、マフラーなどがよく売れたらしい。わが家も洋品店を商っていたので、20日前後の大売り出し期間は大忙しだったのを覚えている。そして、このお祭りの最終日には花火大会が催された。冬の入り口に催されるこの花火大会は珍しく、いまでも続けられ、さらに今では近隣の人たちが見物に押し寄せるようになっているそうだ。なんでも明治32年が始まりだそうで、今年で108回目だというぞ。私が小さい頃は家からも見えたが、最近では犀川の川縁に移動してしまい、家からは見えないのが残念だ」と話し終えた。
  野沢菜漬けの後は花火大会か。花火もわが輩は嫌いだ。なんせ、打ち上げたときのおどろおどろしい音は雷のようで、繊細なわが耳を打つので閉口する。わが輩は、冬でも昼寝を欠かさず平穏に余生を過ごしたいものだ。

「お葉漬けや 母の温もり 落ち葉焚き」