夕暮れが早くなった。小春日和なので暖かい日だまりでうつらうつらしていると直に陽が西に傾き、ぶるっとする。こんなときは、クイーン クイーン ワンと泣くと女あるじがやってきて、吾輩を家の中に取り入れる。最近は吾輩が年老いたせいか大事にしてくれるのでありがたい。そこへいくと、男あるじは、
「年寄りだからといって大事にしすぎると筋肉が落ちてしまうぞ。それにますますわがままになってくるから気をつけないと」とかなんとか、吾輩の老いから来る衰弱を軽く見ようとする。それにしても、歳をとりたくないものだ。元気に散歩したいと思えども、こう身体が言うことを聞かないのじゃ、寝ているしかない。 そこへ、娘あるじがやってきた。ということは今日は日曜日ということか。この娘あるじは吾輩を大事にしなくちゃと言うことはいっぱしのことを言うが、自分はテニスにかまけていて、吾輩の世話を女あるじに押しつけて出かけてしまうから困ったもんだ。その娘あるじは、
「クウちゃん、愛しているよ。最後まで大事にするからね」と歯の浮いたようなことを言いながら、吾輩の頭を撫でたので、吾輩もウー、ワンワンとお決まりの吠えで応えた。まあ、これは一種の儀式のようなものだ。お互い変わりがないことを確かめ合っているわけだ。
 そこへ、男あるじが坪菜園の大根と小松菜に追肥をやるために出てきて、ジョロで液体肥料を用意しながら、
「どうだ見てみろ、この秋は天候に恵まれたので大根も小松菜も青々と生長さしているぞ。葉っぱの色具合といい、その張り具合といい、いい具合に成長している。野菜は新たに種を蒔いてやると、みずみずしく成長するので見ていても楽しいだろう。その点、お前はしおたれるばかりで、もうみずみずしくなることはないので気の毒だな。」と嫌みを述べた。
 「吾輩だって、できればこのしおたれた足腰や毛並みを若い頃のように戻したいとどれほど熱望していることか。そういう男あるじだって同じじゃないか。なんでも来年は6度目の年男とか。足腰が痛くてテニスも満足にできないし、スイミングも止めてしまったそうだ。もう一度みずみずしさを取り戻したいのはあんた方ではないか」と眼を向けると、男あるじは、
「うーん。その通り、せめて10歳は若返りたいものだな。不老長寿なんて望まないが、ほどほどの体力と心力を保持していたいものだ。体力が衰えると家に引き籠り勝ちになる。そうすると、やる気もしだいに失せてくる。なんといっても基礎体力が大事だな。おまえさんも足腰の筋力が萎えてしまったので、大好きな散歩もできなくなっているだろう。女あるじが見かねて、おまえを抱っこして公園に連れて行っているが、やっぱり自分の足で歩きたいだろう。まあ、その気持ちはよくわかる。といって萎えた足をもとに戻す薬はないようだから、自分のいまの境遇を受け入れるしかない。その点、おまえはお迎かえが来るまでは、惰眠をむさぼろうとしているので、まあその覚悟はりっぱなものだ」と好き放題しゃべり散らし、肥料を野菜にかけると、家の中に入っていった。
 吾輩は、なにも覚悟を決めて寝てばかりいるのではない。自然と眠くなってしまうだけのことだ。でも、日がな一日寝ていられるのはありがたいことと言わねばならないな。

「うらやまし大根の葉の勢いが」敬鬼

老いと小松菜

徒然随想