徒然随想

 8月のお盆過ぎから日本列島は不順な天候が続いている。よく雨が降り、真夏の太陽はお隠れになったままだ。大陸の冷たい高気圧と南の暖かい高気圧が列島上でぶつかり秋雨前線をつくっているらしい。ところどころで集中豪雨も起き、広島市では90人もの人が土砂崩れで無くなったという。庭の一隅の縁の下の庵も激しい雨が吹き込み、ぬかるんでしまったので、やむなく北側の玄関の傍らに引っ越しをした。ここからは公園も眺めることができないので昼寝をするにも気に入らないところだが、雨と雷には勝てないのでやんぬるかなである。 そこへ、男あるじが出てきて、
「なになにここは気に入らないってか。ふーん、昼寝をするんだからどこでもよさそうなものだがな。おまえは、腕枕をしてとぐろを巻けばコテンと寝入ることができるだろう。時と所を選ばずに寝れるというのは希なる特技だぞ。こんなことができるのは、娘あるじとおまえくらいなものだ」と嫌みをつぶやきだした。
 吾輩は、馬の耳に念仏、クウ太郎の耳に子守歌とばかりに狸寝入りならぬクウ太郎寝入りを決め込んだ。そういえば、しばらく女あるじ共々家にいなかったな。吾輩の世話は娘あるじが勤務とテニスの間にしていたっけ。どこに行ってきたのかなと薄目をあけて男あるじをみると、男あるじは、
「墓参りに出かけていたのだ。年に一度、お盆の頃に亡き父母の供養をしている。墓を清め、お花とお線香をあげて近況を報告するのだぞ。おまえも向こう側にゆく時が近づいているから、こころしておけよ」とドキッとすることをさりげなくささやいた。そして、
「わが父母は生誕104歳と103歳になる。もちろん生きていればのことだ。この両親から3人の男ばかりの兄弟が生まれた。私が長男で、2歳づつ違う兄弟だ。私が古希を今年迎えたので、この父母に子どもが誕生して70年経過したことになる。この兄弟はそれぞれ配偶者を得て子どもをなした。私のところが2人、次男のところが2人、末っ子のところが3人だ。末っ子の所を除いて子どもも結婚して子をなした。つまり孫が誕生した。私のところが1人、次男のところが2人だ。つまりだ、私の両親から子どもが3人、その妻が3人、両親から見て孫が7人、その孫の配偶者が3人、ひ孫が3人に70年間で増えたわけだ。19人になる。血のつながる大家族というわけだ」と頭がこんがりそうな話をし出した。
 吾輩には配偶者もいない。子もない。父母も不明だから、まったく天涯孤独だ。血のつながる大家族が19人といわれても、それが何を意味するのかまったく不可解だ。こんな顔で男あるじの話に応えると、
「この100年の間に、明治生まれの両親2人の血が19人に分けられたわけだ。そして第1世代が70年弱を生き、第2世代が30年から40年を生き、第3世代がその歩みを始めたばかりだ。われわれ3兄弟は、このお盆の時期、集合して会食することを恒例としている。老いていく者、活動期にある者、そしてこれから発達・成長する者が一同に会するのは壮観だ。第1世代は敗戦後の貧しさを経験し、また日本の復興になにがしかの貢献をした、第2世代は急激な成長から安定し、持続する成長への転換に対応するべくそれぞれの立場から現につとめている。第3世代が生きる世紀はどのようなものかは未知だ。きっと、中国の行方に日本の将来も左右されそうだな。中国が安定成長の軌道にのれば日本も安定して持続的な成長が期待できるというものだ」と話を終えた。
 吾輩の犬生はせいぜい18年、これからの日本がどうなるかなど思いやることもできないが、我が後輩たちにも吾輩が送ってきたような安穏な犬生が遅れるような世の中であってほしいものだ。これはきっと人間にも良き世の中といえるのではないかな。

「コスモスや大いなる風通り抜け」 敬鬼

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