今朝は、北からの涼やかな風が吹いている。わが庵である縁の下にも陽が差し込むようになり、晩夏から初秋へと季節は移り変わる気配がする。こんな気持ちの良い朝は久しいので朝寝を楽しむべくまどろんでいると、「徒然草の第九段にはこんな記述がある。女について書いてあるから良く聞けよ」と蛮声が聞こえてきた。わが輩は寝たふりをしていたが、そんなことにはお構いなく、
「『女は髪のめでたからむこそ、人の目たつべかめれ。人のほど、心ばへなどは、ものいひたるけはひにこそ、物越しにも知らるれ。ことにふれて、うちあるさまにも人の心をまどはし』」と音読した。
  わが輩は、昔の美人の基準は黒髪と聞いていたが、昔のこととはいえ奇異に感じた。確かに黒髪は美しいが、それは本体の美しさを引き立てる道具で、それ自体には美意識をかき立てるものはないのではないか、と男あるじに問うと、
「それはそうだ。だから髪の美しさは人を注目させると書いているだろう。髪美人がすなわち女美人ではない。その次に、なんといっても心ばえ、まあ人柄だな、これが大事だと言っている。それはものをいう気配からもさっせられるという。つまりだな、美人というのは心ばえの良い人をいうようだな」
  わが輩は、先に、兼好法師の色欲について聞いていたので、さもありなんと感じた。色欲は、いまの言葉で表現すると肉欲とでも言い換えることができる。肉欲に心惑わすなんて愚かなことだと断じているので、女の存在を否定しないならば、心ばえの美しさが女の美しさと考えるのだろう。男あるじも、
「そういうことだが、しかし女の心情も気をつけなければいけないと次のように嘆じている。『まことに愛着の道、その根深く源遠し。六塵の楽欲多しといへども、皆厭離しつべし。その中に、ただかのまどひの一つ止め難きのみぞ、老いたるも若きも、智あるも愚かなるも、かはる所なしと見ゆる』とある。つまり、女の愛や恋は心の深層から出ているので、若いものはもちろんのこと、老いたるものも無下に捨て去ることができないので、心を惑わす唯一のものになる、と嘆じているのだ。そして、その強さを、『女の髪すじをよれる綱には、大象もよくつながれ、女のはけるあしだにて作れる笛には、秋の鹿必ず寄るとぞいひつたえ侍る。みづから戒めて、恐るべくつつしむべきはこのまどひなり』と戒めている」
  女の髪の毛で撚った綱には象も繋がれて身動きできず、女の履いた足駄で作った笛の音に男鹿も抗しがたいのか。『恐るべき君等の乳房の夏来る』も同じ心境なのだろう。わが輩も、あの素敵なガールフレンドの香しい匂いには抗しがたいので、これはよく理解できた。ところで、兼好法師は妻帯していたのでしょうかと尋ねると、
「うーん、これが判然としない。というのも、出家する前のことは明らかではないからだ。ただ、妻帯はしなかったが、女の人にはただならぬ関心があったようだな。まあ、ひとりの男として、出家していても当然と言えば当然のことだ。現代の性の科学は、性欲が性中枢と性ホルモンによって発現することをつきとめている。つまり生物学的な根源となる性のしくみがあって、性行動として発現してくるわけだ。これをベースとして、文学、絵画、映画などに表されるようなものへ、性行動は文化的な昇華を果たしたと言って良い。つまり、性行動は生物的起源をもつので、いかに人を惑わすといえども抑えつけるのは困難だと言うことだ。出家した兼好法師も、女人への関心は抑えても抑えがたかったのではないのかな。まあ、これが人間にとって自然なことであろうよ」と、ひとり悦に入って話を終えた。

「老いぬれど 重荷下ろせぬ 夏月夜」 敬鬼

  

徒然随想

-恐るべくつつしむべきは