今年の師走の天気は不順で寒い日が多いようだ。わが輩が住まいする地域は太平洋岸なので冬晴れがもっと続いても良さそうなのだが、最近は晴れたり曇ったりして天気が安定しない日本海側のようだ。わが輩は、昼は外に出されてしまうので、わが庵と決めている縁の下で寒さを凌ぐことになる。縁の下というのは風さえ防げば意外と暖かい。わが輩は毛布を引っ張り込んで、まるで猫のように丸くなって自らの体温で暖をとる術を得とくしているので、朝寝をむさぼるというわけにはいかないが、まあ、そこそこにはうとうとできる。この日も、朝の内は陽射しがあったが、いまは雲が広がり冷たい。でも、すぐ前の公園では子ども達が四人でてきて、ボールを蹴って遊びだした。わが輩も思い切り足り回りたいと思っていると、そこへ男あるじがやってきた。そして、「おお、寒いな、今年の師走は日本の景気のように冷えこむな」とわかったようなことを宣うた。わが輩は、首をすくめて目を合わさないようにしたが、男あるじは強引にわが輩を縁の下から引っ張り出し、
「今日は大晦日だぞ。昔は大つごもりといったものだ。つごもりとは月が隠れる事を意味し、太陰暦の月末を指していた。そのつごもりの一番最後というので大つごもりというそうだ。本年最後の一日をさすことにはかわりない。この日はかつて商点が顧客に掛け売りしている場合には、それらを集金する日にもなっていた。金を貸している場合にもそれを精算すべく借金取りが借り手の家を回ったりしたものだ。樋口一葉の『大つごもり』は、明治中頃のこの辺の厳しい事情を扱っている。借りた金が返せないと、年が越せなかったわけだ。貧者には厳しい歳末といえよう。一葉も貧困に苦しんだので、身につまされる話だ」とおしゃべりを始めた。
  わが輩には、大晦日の今日も元旦の明日も月日は連続しているので、そんな実感はないが、人間族はそうではないらしい。大晦日をけじめとし、元旦からは気持ちを新たにするというしかけを創りだした。これは偉大な発明だったのではないですか、と男あるじを見やると、
「さえているな、そのとうりだ。古代中国で創始された太陰暦でも年をあらため、新しい年は正月から始まるとされていた。いまでも、これは春節、旧正月として残っていて盛大に祝っている。古代ローマは三月一日が正月で年の始まりとされていたこともある。つまり、いつを正月にするかは異なるが、年を改め、新しい気分で新しい年に立ち向かうということは古代から行われていたのだな。旧年中のことは過去のことにしていったん精算し、新年は新年で新たにものごとに挑戦しよう。まあ、こういうことだな。とはいえ、現今の国の借金700兆円が精算されて消えるわけではないので、それを抱えて新たな年を生きていかなければならないわけだ。まあ、気分一新が新年の最高の意味になる。それを形に表したものがカレンダーであり、大晦日から元旦を迎える除夜の鐘であり、年賀状、お雑煮、お屠蘇、初夢、初売り、蔵開き、どんと焼きなど一連の新年のさまざまな行事だな。」とわが輩の問いに答えた。
  わが輩にも、時間の感覚はある。ただそれを言葉という形で表すことができないだけだ。「去年今年貫く棒のごときもの」と詠んだのは虚子だったと記憶しているが、この俳句のように、自然の時間は人間の営みや意図には関係なく、曲がることもなく歪むこともなく、大晦日も元旦もまっすぐに貫いているのは確かだな。されど、わが輩も後何回新年を迎えられるかは分からないから、心して新たな年を迎えたいものだな。

「悲喜あれど なにはともあれ 大晦日」

徒然随想

-大つごもり