5月の連休がスタートした。吾輩にも、暑くなく、寒くなく、ちょうど良い気候で、こんな老体にも心地よい。晴天が続いているので毛も湿らず、身もさっぱりとした感じだから、寝付きもよいし、目覚めもよい。人間どもは、この時期、祝祭日が続き連休がとりやすいために、正月以来の疲れを癒すべく旅行に家族揃って出かけるという。もっとも、吾が飼い主は毎日が連休なので、この黄金週間の連休は家に留まり、家庭菜園に精を出している。
 さわやかな薫風に誘われるように、男あるじと女あるじが庭に出てきた。女あるじは、
「ハナミズキが満開だわね。この庭には白とピンクのがあるので華やかだわ。もっとも、クウちゃんにはどちらも薄緑にしか見えないわね。もっとも白い花は光を強く反射するので明るく見えているはずだわ」と話しかけた。 吾輩は花にはまったく関心がないので、ただ聞いているだけだったが、そういわれてみると、垣根の近くに植えられた右手の樹の方が明るく光っている。そうか、こっちが白なのかと吾輩は、左右のハナミズキを交互に見て納得した。女あるじのこのやりとりを聞いていた男あるじは、
「イヌやネコに神様が色覚を授けなかったのは不思議なことだな。熱帯魚には色覚があるというし、魚の鯉には人間と同等の色覚があるし、ミツバチにも紫外線を見る能力があるというのにどうしてイヌやネコにはないのかな。もっとも、ネズミや牛、馬も色の世界をもっていないということだ。嗅覚が発達したので色覚はなくてもよいだろうと神様は考えたのかな」とつぶやいた。
 吾輩も桜の花の色、もみじの紅葉した色、若葉の萌えぎ色がどんなものかみたいと思うので、神様は不公平だなと感じ、男あるじを見やったら、男あるじは、
「おまえの不満ももっともなところがあるな。色覚くらい備えてやってもよかったのではと思うよ。単色の世界では味気ないな。きっと、色が見えるとそれに惑わされて匂いが正確に嗅げないと神様は考えたのではないかな。色よく人を惑わすと言うからな。色即是空」と訳の分からないことをつぶやいた。
「ところでだな、神様の意図は脇に置いておいて、この季節の麗しき様は俳句にもよく詠まれている。『初夏の一日一日と庭のさま」』。これは星野立子のものしものだ。庭の木々や草花が一日一日と生長し、花が咲き、別の花に変わり、そして緑が濃くなっていく様を平易に詠んでいるな。どうということのない句だが、それだけに毎日感じるところがよく表されている。わが庭の樹木や花も、さざんかが終わると、紫木蓮が大様な花を一面に咲かせ、ほぼ同時に野村もみじが若葉を付ける。このもみじはよく見ないと気がつかない紅色の小さな花を若葉の中に咲かせる。そうこうするとチューリップが咲きそろう。赤、黄、青、白と鮮やかだな。これが終わる頃、いよいよハナミズキが咲き出す。これは10日ほど、そのあでやかさを堪能させる。そしてこれが散る頃に小手毬が可憐な花をたくさんつける。家から望まれる小公園には、なんじゃもんじゃの樹がまるで綿帽子のような白い花を一面に咲かせる。一日一日と庭の様が変化する。こんな変化は春から初夏にかけてのみで、夏になると木々の葉が緑を濃くするばかりとなる。こんな句もあるぞ。『プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ』。石田波郷が詠むんだものだ。吾が家の近辺の街路樹はこのプラタナスだぞ。晩秋には枝が刈り込まれてしまうが、初夏になる一斉に無数の若葉を吹き出し、ぐんぐんとその葉を大きくさせ、その天狗の団扇のような葉っぱで鈴がなるような音を出して風にそよぐ。葉のみどりはあたりを明るくさせるので、夜目にもそのあざやかな緑は目立つな」と話し終えた。
 吾輩は、季節の変わり目の匂いの変化には感受性を持つが、目に入る季節の変化には鈍感なので、男あるじの言い分は実感できないが、でも、春から初夏にかけては周りが一日一日と明るくなるのはよくわかる。

「小手毬や鈴音鳴らし夏告げぬ」 敬鬼

- 黄金週間

徒然随想