男あるじが夕方の散歩のために庭に出てきて、「今日は暦の上では立夏だ。気温も最近はあがってきて、25度もあるそうだぞ。暑さにことのほか弱いお前さんにはこたえるだろうな。もっとも、人間様にはちょうど良い気温だ。暑くもなく寒くもなくというところだな。夕方の風が起きて気持ちよいぞ。さあ、出かけるか」としゃべってから、吾輩のリードを付け替えた。
 女あるじも自分の健康を気遣って同道するので、吾輩のうんちの始末のための落とし紙然とした八つ切りの新聞をもってわれわれについてきた。吾輩は、歩き出すとまもなくもようしてくるのが常だ。女あるじは、吾輩の後ろを歩きながら注意深く吾輩の肛門を見ていて、
「そろそろうんちらしいよ。ほら肛門が開いてきたわ。ゆっくり歩いてやってよ」と男あるじに声をかけた。吾輩もそれにこたえるべく、腰を落として腹に力を入れ、うんちを絞り出した。女あるじは、吾輩の尻の下に八つ切りの新聞紙をあてがい、じょうずに絞り出されたものを受けて、ビニール袋に仕舞った。女あるじは自分が考え出したこのうんち処理法を気に入っているらしい。というのも、新聞紙を再利用するだけだし、落ちてくるものを受け止めるだけで道具もいらないと自画自賛している。女あるじは、うんちの始末をしながら、
「立夏というのは、たしか、立春と夏至の中間日をいうのだったわね。今年は今日56日なのね。どうりで夕方が遅くまで明るいわ。こうしてクウちゃんと歩いていても、軽く汗ばむくらいで疲れないし、そよ風が肌に心地いいわね」とつぶやいた。 男あるじも、
「チューリップ、三色スミレ、小手毬、藤が咲き終わったので、これからは、ツツジ、ボタン、カキツバタ、シャクヤクが咲きそろうな。そうそう、バラも忘れてはいけないな。深紅のバラ、白バラ、黄色のバラなどが垣根沿いに咲いているのを見るのは眼福というものだわ」と女あるじのつぶやきに応えた。そして、
「『夕風や白薔薇の花皆動く』 と詠んだのは子規だ。どうと言うことのない句だが、五月の風を受けてはじめて垣根の白バラが動いているのに気がつき、そこに一抹の風情を感じたのだろうか。バラの花そのものは大きくないので、散歩していても気づかずに通り過ぎてしまう。でも風を受け、造花のような端正な花が揺れると匂いも周りに振りまかれる。いっそう白バラの気高さに気づく。まあ、こういったところだろうか。山口誓子も『薔薇熟れて空は茜の濃かりけり』と詠んだ。あかね色の夕焼け空の下、多分深紅のバラが一輪咲いているところを詠んだものだろう。深紅のバラは、咲き始めより咲き終わりの頃が深紅を際立たせる。黒赤色に変わる。これはこれで見事な色で、情熱、熱烈、灼熱の思いを感じさせるな」としゃべった。
 吾輩も男あるじのおしゃべりにつられてバラをしげしげと見て、そして嗅いでみた。バラは香油にも使われるだけあり良い匂いがしていた。色は分からないが、花びらも一枚一枚を巻きこむように造作され、上品な形をしていたので囓ってみたが何の味もしなかった。おいらには同族の出す香油の方がずっと香しい。それにしても人間という生き物は食べられもしない花なんかに惹かれるのだろうか。人間にとって花は心の食べ物かもしれないな。

「夏立ちぬ深紅の薔薇を盃とせむ」 敬鬼

- 立夏

徒然随想