徒然随想

綸言汗の如し
  男あるじは、テレビの国会中継を見ていて、なにやらぶつぶつと唱えている。わが輩は聞くともなく訊いてみると、「りんげんあせのごとし。りんげんあせのごとし」とつぶやいているようだ。そして、男あるじは、
「わしもかくあらねばならないな。めったなことは言わないことだ。黙して語らずといこう」とかなんとか言っている。そこで、わが輩は、辞を低くして尋ねた。
「りんげんあせのごとしとはどういう意味でやんすか」
男あるじは、すかざず、
「おまえのような下々のまた下々のものには関係しないことばだ。これはな、皇帝が一度発した言葉は、取り消すことができないという意味なのだぞ。つまり、汗は一度出てしまうと引っ込めることはできないだろう。それと同じように、一度、発した言葉は、のみ込むことはできないということだ。もっとも、汗はおまえのかく汗も、皇帝のかく汗も、引っ込めることはできないと言うことでは同じだがな。しかし、ことばは違う。おまえが発することばらしきフィーンフィーンは大変軽いし、誤りだらけだ。しかし、皇帝が発する言葉は思い意味をもっているし、また誤謬が無く神聖なものだ」
 なるほど、この格言は汗に関係していたのかとわが輩は考えた。確かに、天皇、皇帝、王様、この家のあるじは等しく汗をかくな。しかし、その発することばには軽重がありそうだ。とくに、この家のあるじは、あーでもない、こーでもないと言葉が軽いし、すぐ間違ったとぬかす。どうやら、国会中継で野党の重鎮が、首相のことばが軽いこと、すぐ後退すること、実行が伴わないことに対して、綸言汗のごとしであらねばならないと批判したようなのだ。
 こんなことを考えているわが輩の顔をみて、男あるじは、
「だがな、綸言汗のごとしなんて言っていたら、コミュニケーションはとれないものだぞ。ものの真実に近づき、何が正義かを決めるのには、あーでもない、こーでもないが重要なことなのだよ。つまりだな、ものごとの真実をあきらかにするためには、相対立する意見があって、互いに批判することを通してのみ人間は真実に近づけるのだな。ひとつの見方しかなければ、裏側の真実は見えないだろう。全員一致して正しいとした意見は、実は全員が見誤っているかも知れないのだぞ。そこでだな、わが輩は、議論すべき相手がいないと、自分の中で相対立した見方をわざと設けて、おまえからみると、あーでもない、こーでもないとやることになる」
 ふーん、そうなのか、男あるじにしては、珍しくもまっとうなことを言っているようだ。たしか、殺人事件の裁判で陪審員が1人を除いて全員有罪と評決したのに、反対したその人の意見がしだいに真実を明らかにしてゆくという映画、そうだ「12人の怒れる男」という映画があったな。これは「評決の行方」というタイトルでリメークもされた。誰かが違う見方をしないと、意見を交わすことなく決定されてしまう。これは、実に恐ろしいことでもあるな。人間も、過去の様々なつらいことを経験し、ものごとの真実や正義は、ステップバイステップにしかあきらかにできないことを学んだためだろうな。いやはや、わが輩イヌたちも脱帽だ。もっとも、わが輩たちのリーダーは、過ちや誤りをおかすことはないから安心だ。まあ、綸言汗のごとしというのは、動物界のリーダーにこそふさわしい。

「世の中の重荷おろして昼寝かな」 子規