わが輩の一日は、朝の散歩、朝食、朝寝、昼寝、夕方の散歩、夕食、この家のあるじたちとの団欒、夜寝で、日々変わることない。まあ、わが輩の心理的な時間は、かなりゆったりとしている。このような過ごし方を端から見ると、毎日を怠惰に意味なく送っているように見えることだろう。  わが輩は当てがい扶持を与えられているので、自ら稼ぐ必要がない。このような境遇は、江戸時代の御家人や藩士のようだし、定年退職して年金が生活費のすべてである年金生活者と同じだ。もちろん、わが輩にもそれなりの仕事がある。それは、ご主人の機嫌を損じないように適当に媚びることである。こんなことが、人間どもには癒しになるというから驚きだ。わが輩の女あるじも娘あるじも、この家で一番大切なのはクウチャンといってはばからない。男あるじなど顔色なしである。
  実際、わが輩がちょっとお腹をこわしようものなら、それは大げさに、今にも死んでしまうかのように騒ぎ立てて、かかりつけの動物病院に連れて行かれる。まあ、ありがた迷惑なことだ。ほっといても、腹下しなど自然に治るものなのに。これらは、わが輩が意図したことにはあらず、この家のあるじたちが勝手にわが輩を下にも置かないように扱っているところからきている。わが輩の立ち位置は、この家の癒し犬といったところだ。この家がとりわけストレスが高いというわけではなさそうなのに、わが輩のような癒し犬が必要と言うことは、人間どもの世界では家族や友人では満たされないものがあるからだろう。そこに、わが輩たちの存在する理由がある。つまり、わが輩たち癒し犬は、日がな一日、優雅に寝ていれば、それで十分な役割を果たしていることになる。こんな商売は、3日やったら止められないな。
  こんなことを夢想していたら、男あるじが出ばってきた。なにか一言あるらしい。考えてみると、偉そうな講釈をたれる男あるじも、年金という当てがい扶持を与えられ、毎日が日曜日といった生活をしていて、わが輩と変わることはないようだ。朝方起床すると新聞を読むことから始めて、朝食、次ぎに本人は論文研究と称している午前のわずかな時間の読書、昼食、この後は長時間にわたってうつつを抜かす昼下がりのテレビの刑事物、これに飽きるとわが輩を連れての夕方のウオーキング、そしてその時の気分による好みの酒を友にしての夕飯、またまた夜のテレビ、最後に早々の就寝といったところが男あるじの一日の過ごし方である。わが輩の暮らし方と大差がないようだ。
「ふーん、まるでわたしが無駄飯を食っているような言い方だな。それは大間違いだ。これまで、大学を出てから40年余りにわたって教育と研究のために粉骨砕身努めてきた。いわば、大きくした果樹の果実を、いま、収穫しているというわけだ。これまでは、自分を、家族を養うために働いてきたが、これからは金銭を得るために努めるのではなく、金銭から自由になり、自分の欲することをするという境遇にようやく辿り着いたのだ」と男あるじは弁解がましく、それでも胸をはって主張した。そして続けて
「五木寛之先生が紹介して有名になった古代インドの教えに、人生を4つの時期に分ける考えがある。生まれてから25歳までは知識を学習しさまざまな事柄を経験して己の力を錬磨する『学生(がくしょう)期』である。まあ、自立できる力を養う時期で、いまでは学生時代と言える。25歳から50歳までは就職、結婚し、家庭を築き、養う『家住期』である。50歳から75歳が、本当にしたいことをする人生でもっとも充実した『林住期』、そして最後は75歳からの『遊行期』がくる。この時期は、自分は何者かということを突き詰め見極める時期といわれる。いいか、いま、わたしは遅ればせの『林住期』にある。臨終期と間違えるなよ。同じ音でも意味するところはまったく異なるからな。つまりだ、いま、己の欲するところにしたがって行動し、己の欲するままに生きているわけだな。無為徒食とは全然違うのだ」と力んだ。
 わが輩は、確かに、男あるじも、女あるじも、その青壮年期に、それなりに働き、家族を養ってきたことは認めるにやぶさかではない。すなおにご苦労さんと言いたい。いまは、その果実を得て、ゆったりと生活できていることも確かだな。しかし、己の欲するところにしたがって生きる境遇になったが、果たして己が本当に何を欲しているのかが分かっているのだろうか。存外、これが難題なのではないのかな。

  「風が舞う林の中は星月夜」 敬鬼

徒然随想

     林住期−